アーカイブ | 1月 2017

西日本新聞創刊140周年

西日本新聞が創刊されて、今年で140年になるそうです。ずっと「にしにほん新聞」だと思っていましたが、正しくは「にしにっぽん新聞」。そうですよね、私らの国も、「にほん」ではなく「にっぽん」と発音しますからね。西日本新聞の最初の報道は、「西南戦争」の戦況を伝えるものだったとか。長く医療面でコラムを書かせていただいているからでしょうか、記念祝賀パーティにお招きをいただきました。参加者800名、大規模なパーティでした。福岡出身のノーベル賞受賞者、大隅良典東工大名誉教授の新聞社社長によるインタビュー映像、姜尚中氏のビデオメッセージなど、斜陽と言われる厳しい新聞業界へのエールが興味深かったです。びっくりしたのは、80年来の新聞読者という94歳の大分県日田市の商工会の方の挨拶。自在なお話ぶりを伺う限り70歳にしか思えません。スクリーンに映るお顔もつやつや生き生き。最近は、若いイケメンには全く関心がなく、元気はつらつと年を重ねている男性に関心があります。どうしたら94歳まで、こうしていられるのかしらと、根掘り葉掘り取材したい気持ちになるのです。

ソフトバンクの王さんによる乾杯の音頭の後、料理が振る舞われたのですが、来場の方はほとんど福岡を中心に九州の経済界の男性ばかりです。ちらほらと写真でしか見たことのない文化人やスポーツ関係者も混じり、私は知り合いもない会場で、壁際に並ぶ九州のおいしいものを探して、広い会場をお皿を持って歩きまわりました。佐賀牛のローストビーフ、中華の名店のあんかけそば、すごくおいしいコンソメスープ。高価なすし店の握りずし。浅ましく口も利かずに食べていましたから、きっと血糖値がはね上がったことでしょう。会社のえらいさんや議員さんたちは名刺交換に忙しく、長老の方々は料理の前に素早く並ぶこともなく、静かに椅子に座って新聞社の若い人が料理を運ぶのを待っておられます。私は、おなかがいっぱいになると、創刊記念特別紙に読みふけりました。小倉時代の森鴎外の寄稿文など、面白い記事がありました。がん患者の話を聴くボランティア活動か、台所で夕飯の支度をしているか、教室で学生相手にしゃべっているだけの毎日なので、ときにはこんなパーティに紛れ込むのも楽しいです。ご招待いただければ、ですが。

 

 

夜更かしは止められない

今年の目標は「夜は早く寝る」=「夜更かしをやめる」でした。が、やっぱり夜更かしは止められません。夜中の方が仕事がはかどります。幾晩か12時前に寝たのですが、目が覚めたのは午前10時過ぎ。3時に寝ても10時起きです。残りの人生が長くないのに、一日が短くなるのは勿体ない。この季節、試験問題作成や学会発表・講演会の準備で忙しいですからね。毎週の連載原稿、がん患者ボランティア活動。凍てつく午前1時。加湿機がカタカタと鳴る古い電気ストーブを机の横に置き、パソコンに向かって鋭意、資料作成中。選んだBGMは、アンドレア・ボチェッリの「ローマよ、今夜はふざけないで」。1961年にローマで初演されたミュージカル「ルガンデーノ」のナンバーだそうです。猫メロンが、眠り箱の中でいびきをかいています。

なかなか、良い夜です。

皆さまお揃いの新春!

ついに、てふてふさんが新しいブログを見つけてくださり、これにて「波多江伸子の部屋!」、ご常連さまお揃いのめでたい迎春と相成りました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

酉(鳥)は、飛びながら眠れるそうですが、人間はやはり、暖かな夜具にくるまって、ゆったりと安眠したいものです。今年の私の抱負は「夜は早く寝ること」。小学生並みですが・・。昨年までは(といっても、1週間前までは)、毎晩、2時か3時まで起きていました。いくらなんでも遅すぎ。睡眠不足は糖尿病患者には良くないとのことです。午前1時までには布団に入るという、かなり難しい年頭の誓いを立てたのですが、さて、どうなりますか?若い頃からずっと夜型の生活でしたから。

私の実家は、みーんな深夜族でした。受験勉強をしていた高校生の頃、夜中にお腹が空いて、こっそり台所に行ってみると、なぜか兄たちや母も先に来ていて、皆でラーメンを作ったりミルクを温めたりしているような家でした。夫も息子も宵っ張りで、わが家は深夜3時にお茶をしながら家族団らんしています。夜行性のはずの猫メロンだけが、早々に布団(眠り箱)に入ります。好物は、猫用の魚のポタージュ。最近は、よその猫がベランダから覗いても、気がつかないふりをするのです。あの、勇敢で賢くて、敏捷だったメス猫メロンはどこへ行った?飼い主の膝の上でゴロゴロ喉を鳴らしているだけの、お婆さん猫になりました。