柳井の金魚ちょうちん

毎年7月になると、「柳井の金魚ちょうちん」を棚の奥から取り出して玄関に飾ります。私のささやかな夏の楽しみ。網戸から入るそよ風に、金魚の親子がゆらゆらと揺れています。天井に吊るした青いガラスのランプシェードがまるで金魚鉢のように見えるでしょう?10年以上前に、山口県在住の知人から頂いた県の特産品ですが、箱を開けた瞬間に一目惚れ。早く飾ってみたいとワクワクしました。色といい、形といい、なんと可愛らしくて生き生きとした造形でしょうか。曲げた竹ひごに紅白に染め分けた和紙を張って、お目々は墨で黒々とパッチリと描かれています。

柳井は山口県の広島寄りに位置する港町です。先日、柳井港からフェリーで愛媛に渡る旅行をしたことはここで書きましたよね。フェリーの客室の天井に古ぼけたちょうちんがたくさん下がっていました。「そうだ。親しい人へのお土産に買って帰ろう」と、帰りに柳井市内の郷土民芸品店を探したのですが、もう日も暮れる頃なので産物店は締まっています。市内のどこにも下がっていにないのです。柳井市商工会議所に電話をして、まだ空いているお店を教えてもらい、やっとのことで棚の上に一個だけ残っていたちょうちんを売ってもらいました。金魚ちょうちんは廃れたのかな~と心配していたのですが、どこかに山ほど隠し持っていたのですね。

お盆が近づく頃、柳井市では金魚ちょうちんまつりが盛大に開かれます。浴衣を着た子供たちが、これでもかというくらいの金魚ちょうちんの下で可愛く踊っているニュースをTVでやっていました。私たちが行った5月ごろは、祭りのためにちょうちんを販売していけないというお触れが出ていたのかもしれません。

百道浜(ももちはま)は、サザエさん発案の地

福岡空港から姪浜まで東西に走る市営地下鉄空港線。西新駅で降り、フレッシュネスバーガーの角を右折すると、そこから海の方向へ延びる通りが通称「サザエさん通り」です。ここは、修猷館高校・西南学院大学・高校・中学と西新小学校が立ち並ぶ学園通りでもあります。サザエさん通りの突き当りは、地下鉄と並行に室見川まで走る「よかとピア通り」です。その向うは埋立地の百道浜地域。25年前に造成された埋立地は、著名建築家のデザインによる高層マンション群、福岡タワーや博物館、ヤフードームやテレビ局など立派な建物が威風堂々と立ち並び、緑の並木を海風が吹き渡る近代的な洒落た街。でもその昔は、「よかとピア通り」が白砂青松の海岸線だったのです。60年前の夏、団塊世代の子供たちがまるで銭湯のように押し合いへし合いして泳いでいたものです。

この海岸で長谷川町子さんが「サザエさん」の登場人物の名前を思いついたということで、「サザエさん通り」と名付けられました。百道浜っ子だった私たち、よかトピア通りの向うに見えるBONREPASのあたりで泳いでいたんです。

漫画「サザエさん」は、福岡の地方紙、夕刊フクニチの連載から始まりました。石碑に当時のことを描いたマンガの一コマが貼りつけてあります。町子さん一家は、この海沿いの家に暮らしていました。病み上がりの妹さんに付き添って海岸を散歩しながら、登場人物を海産物の名前にしようと思いついたのだそうです。でも、あの当時、百道浜ではサザエは採れませんでした。あさりやマテ貝は採れましたけど。カツオも博多湾では釣れません。でも、磯野波平・フネ夫妻、長女サザエ、お婿さんのフグ田マスオ、カツオにワカメ・・楽観的な日本の庶民の代表的一家として、町子さんの想像の中から生まれて、今も生き生きと、日本のどこかで暮らしているようですね。私の小学生の頃、後ろは刈り上げで前はおかっぱの「ワカメちゃんカット」が流行っていましたっけ。

西南学院大学に今年新しい立派な図書館が完成しました。その図書館の前に、サザエさんと作者長谷川町子さんのブロンズ像が建っているんですよ。サザエさんが町子さんに内緒話をしている様子が面白いですね。

サザエさん通りの入り口にある修猷館高校。秀才揃いの県立進学校ですが、校風は自由。ジイジ氏の母校と伺っていますので、写真を写してきました。古い建物は取り壊されて、すべて鉄筋の新校舎に様変わり。レンガ造りの古い校門は一部ひっそりと残っています。最近は修猷館高校も女子生徒が増えました。☆の校章がついたセーラー服はそのままですが、スカート丈を超ミニにしてメイクをし、イチゴシェイク片手に彼氏と歩いています。学園通りは、今風にお洒落な雰囲気になりました。

 

『がっかり』しない観光名所。札幌の時計台

ここ数か月、持病の糖尿病が良くありません。それでも猛暑酷暑の7月下旬、北海道まで観光旅行に出かけました。この体調不良の中、ヘロヘロしながら観光旅行?と自分でも思ったのですが、まあ、ずっと前から予定していましたからね。行くしかなかったのですよ。北海道、初めてですし。

福岡空港から新千歳空港まで2時間半。新千歳空港からJRで札幌駅まで20分。駅で昼食をすませ、北大のそばの静かなホテルの部屋に納まったのは、家を出てから6時間後。割に早く着くもんですね。九州から北海道まで。気温は18度、札幌市街の碁盤状の道路には涼しい風が吹き抜けているのですが、エネルギッシュな中国人観光客が溢れていて熱気むんむんです。聴こえる会話の8割は中国語。ばっちりバレリーナ風ポーズを決めての記念撮影に驚いて見とれる私。

ホテルの洗面台で顔を洗おうとしたら、水が冷たくて良い気持です。駅の中のカフェで食べたソフトクリームの何と言うおいしさ!新鮮な生クリームのコクと滑らかさがたまりません。インスリン注射を追加打ちしてでも食べたい、禁断のおいしさです。3日の滞在で4個食べました。あ~、北海道のソフトクリームの罪深き美味の虜に。ブルーベリーに似た「ハスカップ」のジャムを載せるとまた違った可愛らしい味わいになります。

下の写真は、「日本三大がっかり名所」のひとつと言われる札幌の時計台ですが、「あら、素敵!どこが、がっかり?」というのが私の感想。明治の洋館風な建物が大好きですし、都会のビル群の中に、夏木立に囲まれた白いペンキ塗りの建物が爽やかです。この建物は、札幌農学校の演舞場だったとか。

旧北海道庁舎。赤レンガの美しい建物と庭。周りは観光客でいっぱいなのですが、たまたま誰もいない空白の瞬間があり、絵葉書みたいに静かな写真が撮れました。館内に入り、ガイドボランティアさんから、ゆっくり北海道の歴史を解説してもらいました。クラーク博士が、弟子たちと別れる場面を描いた油彩の絵の前で初めて知った事実。それは、クラーク博士が9か月しか札幌農学校にいなかったことです。でも、「青年よ、大志を抱け」という言葉は、日本では永遠に残りそう。

小樽の運河は、私的には「がっかり度」最高でしたね~。この日は、急に気温が上昇して32度。北国とは思えない、じりじりとした暑さ。途絶えることなく押し寄せ、観光スポットの前で写真を撮り合う観光客の波、波。客引き。暑さと人混みと、典型的な観光地特有の雰囲気に当たってしまい、早々に札幌に戻りました。

 

 

四国のお土産 草の葉で作ったバッタ

四国旅行から持ち帰ったお土産。草で作ったバッタです。トノサマバッタかイナゴのような堂々とした姿で、実にリアル。今にも跳びはねそうではありませんか。伝統的な草遊びが残っている大洲(おおず)の町の、無人のお店で見つけました。市内を流れる肱川はゆったりとして清々しい景色です。

 

      

瀬戸の渦潮

山口県の柳井港から、フェリーに乗って四国へ渡りました。愛媛県松山市の三津浜港まで2時間半の航行です。瀬戸内海は穏やかで海面は湖のように滑らかです。連れ合いの運転で松山市を中心に、近郊の古い町~内子や大洲を巡る2泊3日の旅。私は、香川県の高松市や徳島県を訪れたことはありますが、愛媛県は初めてです。船のデッキからは大小さまざまな島が見えます。可愛らしく胸ときめく景色です。

その静かな海面のとろどころに潮が渦巻いている部分があり、「これが渦潮というものか~」と感動して見入ってしまいました。私の旧姓は「村上」と言います。父方の祖父は因島の出身で、村上水軍の血脈が入っていると聞いたことがあります。瀬戸内の景色に心躍るのは、ご先祖さまから受け継いだDNAのせいかも。

松山市も、近郊の内子や大洲という江戸時代から続く古い町並みも、そこに住む人たちも、旅人に優しく親切です。大洲の町で道を尋ねると、土地の方が「散歩のついでですから」と、プロの観光ガイド以上の詳しさで、あちこちを案内してくださいました。古くからお遍路さんをもてなしてきたお国柄だからかもしれません。

 

 

 

 

 

 

モノ捨てる愉しみ

皆さま、いかがお過ごしですか?福岡はこのところ晴天続きです。新緑と明るい陽射しに誘われて、この連休、珍しく洗濯や片づけものに精を出しています。昨日は、自分の部屋の古い書類や雑誌、古着、押し入れの中の黄ばんだ布団カバーなど、リサイクルにも出せないような品々を、福岡市の一番大きな45ℓの袋に詰め込んで、ゴミ出し日に家の前に7個、ずらりと並べました。この爽快感はモノ捨てる愉しみです。

溜まりに溜まったものを捨てるときは、深く考えず、右から左にゴミ袋に入れるのがコツ、なんて言われますが、古いアルバムやノートなどは、やはり中身をしっかりチェックしなければ捨てられません。

本だなの下から「おかしなエピソード」というタイトルの古いノートが出てきました。30年以上も前の、ちょっとした笑える話を収録したノートです。当時、主婦業の傍ら、週に一度、或る大学で哲学の非常勤講師をしていたのですが、そこの学生の爆笑レポート。あまりにでき過ぎているので、本当に学生が書いたものなのか、もしかして私の創作なのか分かりませんけど。

『哲学の時間に、波多江伸子先生から<悔いのない人生を生きるとは?>という課題が出されました。家で夕食を済ませた後、テレビの漫才を見ながら笑っている父に訊ねました。「悔いのない人生って何だろうか?」父は驚いて、「は?何てや」と振り向きます。「良く生きるって何だろう」とボク。「どうしたお前。何か心配ごとでもあるとか?」と父。「オヤジ、死についてどう思う?」とさらに問いかけると、父は急に立ち上がり、「おーい、かあちゃーん。こいつ、ちょっと具合が悪いとやなかね。どうもおかしか」とオフクロを呼びに行きました。オフクロはエプロンで手を拭きながら台所から走って来て、「どげんしたとね?」と、ボクの額に冷たい手で触ります。「母ちゃんは、いつ死んでも悔いのない人生を送っとる?」と訊くと、「小遣いは十分やっとるし、弁当のおかずもちゃんとしたものを入れとるとに、おかしかね。どうしたんやろ」とオヤジと顔を見合わせ、ふたりして「ほんなこつ、おかしか・・」と心配していました。先生、こんなレポートですみません。ボクおよびボクの家族は、哲学的課題には向いていないようです』

こちらは、<モノ捨てる愉しみ>というよりも、捨てようとして片づけていると、思いがけず面白いものを発見する愉しみでしょうかね。

なまけるな イロハニホヘト  散桜 

江戸後期の俳人、小林一茶の句です。

毎日のように散歩するいつもの公園の桜の枝に、数日前、ちらほらと白い花びらがついていました。連れ合いの調子が良くなくて、数日散歩を休み、今日、買い物のついでにひとりで公園まで足を延ばしたら、あれま、7分咲きになっています。桜の季節は夢まぼろしのように過ぎていきます。人生もうかうかとしていると、あっという間に盛りは過ぎ、一夜の雨風で散り果てます。若者よ、なまけるな。イロハニホヘト散桜ですぞ。少年老い易く、学成り難し・・なんて言うと、学生は「ハ?」と顔を見合わせることでしょう。さて、来週から新学期が始まります。我ながら、50歳も年の離れた学生をよく教えているものだと思います。

一茶の句は、言葉遊びに紛れて人生の無常を感じさせる、面白哀しい俳句ですね。この人には、右翼の街宣車のような句もあるのです。「桜さく 大日本ぞ 大日本」。松岡正剛さんの<千夜千冊>というブログで教わりました。

柳川さげもんと吉田博展

香川うどんお勧めの、久留米市立美術館(ブリジストン美術館)での吉田博展。3月20日までだったのですが、17日に見てきました。「今日こそ行こう」と思いながら、なぜか仕切り直しをすること数回。かろうじて閉幕までに間に合いました。大牟田線に乗って久留米で降りず、通りすぎて柳川まで行って、うなぎを食べて「さげもん」(つるし雛)を見て帰った日もありました。出かける用意をしていたら、急な用事が入り、別の場所に行った日も・・。

久留米市出身の画家の里帰り展ということもあって、すごい人気。特に、朝日 と夕日を受けた帆掛け舟の連作、日本アルプス剱山の朝などの版画の前は、黒山の人だかりでした。吉田博は明治・大正・昭和初期に活躍した画家です。昭和25年に亡くなりましたが、戦前は、海外で良く知られた画家だったらしく、嘘かまことか、終戦直後、日本に降り立ったマッカーサーが「吉田博はどこだ?」と訊ねたとか。戦後数年間、吉田博邸は占領軍の軍人や夫人たちの文化サロンのような趣を呈したそうです。

博は23歳の時、片道切符で渡米し、デトロイト美術館でデビューして成功を収めています。水彩の日本的な風景画は驚くほどよく売れたそうです。以来、度々、数年がかりの海外旅行をしています。アメリカやヨーロッパ、エジプトなど、世界中の有名な観光地の絵を描いています。万国共通のセンスの良さ、分かりやすさのある絵なので、行く先々で売れたようです。大正・昭和ひとけたの時代の船旅ですから、時間もお金もかかる命がけの旅だったと思います。吉田博は旅行家・登山家としても優秀な人でした。明るい透明感のある水彩画や、何十回も刷って仕上げるという木版画などは、実に現代的で洗練された画風です。画家としての技術的なレベルは大変に高いのですが、どちらかというと思想性のない(めんどくさくない)、軽い絵葉書風。また、当時の外国人受けを狙った芸者・フジヤマ的モチーフの作品が多いこともあって、どこかしら商業主義的な感じもする絵画です。当時の画壇の中心だった帝展の大御所、黒田清輝を批判していたとのことですが、吉田博自身も帝展の審査員にまで「出世」しています。展示作品に添えられた学芸員の解説文を読む限り、今回の展覧会の主催者側は、ぞっこん博に惚れこんでいる感じ。また、展覧会の来場者も、ほとんど「いいね!」「素晴らしいね!」と言い合っていました。私も、軽くて洗練されたものが好きなので、この人の作品は好きですが、同行した連れ合いは(思想性を重んじるタイプの人)、同じ久留米出身の画家でも、坂本繁二郎や高島野十郎の方を評価する様子でした。ま、好みですね。

西鉄柳川駅のさげもん。柳川の女性たちの手仕事だそうです。土産物店では立派なセットが、7万~15万円で販売されていました。普通の雛飾りより、私はこれが好きなんですが、とても手が出ない高値の花。

 

 

歩きスマホはやめましょう

2月は記事を更新しないまま、早くも弥生3月になりました。早春。まだ空気は冷たいのだけれど、陽射しは明るく、いつもの散歩道には春の気配が漂っています。2月末を以て、西日本新聞の半年間の連載が終了し、ホッとしているところです。週1回の連載は、なかなか大変でした。2月はわが家に「事件」がいろいろありましたが、無事に3月を迎えることができてありがたいことです。

いろいろあったことのひとつは、夜の公園で歩きスマホをしていて、車止めにぶつかり転倒したこと。膝と胸をしたたか打って、2週間くらいあばら骨が痛くて寝るのも不自由でした。夫婦で、夕食後、公園まで散歩に出かけることが多いのですが、公園でポケモンGOのボールを取りながら歩いている最中の椿事でした。そもそも、暗闇ではまっすぐ歩くことが難しいニワトリのような私が、スマホを見ながら夜道を歩くのは大変危険な行動なのです。私自身はスマホは持っておらず、夫のスマホを借りて(奪い取って?)のポケモンGO。昨年から、この子どもっぽいゲームにはまっておりました。ハイ、この歳で。

「わーい、ハイパーボールが取れた!」とスマホ画面に夢中になりながら歩いていると、突然、脚が何かにぶつかり、上半身が泳いでしまいました。障害物はコンクリートでがっちり太く、高さも相当あって、先に進むことも戻ることもできません。身体のバランスが崩れて、バタッと倒れる以外、選択肢はありませんでした。先を歩いていた夫が異様な音に振り返ると、私が「五体投地をしていた」そうです。

「五体投地」とは、チベット仏教の拝礼作法のひとつです。全身を地に投げ伏して仏を崇めるという、最も強い信仰の表現。本当に、全身で、バタッと前に倒れるのは相当激しい衝撃と痛みを感じます。そういう姿勢を取り続けながら、チベット仏教の信者はボロボロになって巡礼の旅を続けていたのだとか。最近は、五体投地用のマット持参で拝礼するみたいです。

巡礼でもないのに、私は歩きながら、時々、何かにつまづいてバタッと全身で転ぶので、夫が「五体投地」というのです。2月は忙しい中のハプニング。肋骨の痛みをサポーターで抑えつつ駆けずり回りました。アメリカのトランプ大統領暴走政策や、金正男氏暗殺事件など世界のビッグニュースに比べれば「ふふふ」のレベルの事件ですが、わが家の大きな反省材料になりました。もう、歩きながらスマホや携帯を見なくなりました。地下鉄の駅や歩道の脇にも書いてありますよね。「歩きスマホはやめましょう!」。賢明な読者の皆さまには不要な注意ですよね?

西日本新聞創刊140周年

西日本新聞が創刊されて、今年で140年になるそうです。ずっと「にしにほん新聞」だと思っていましたが、正しくは「にしにっぽん新聞」。そうですよね、私らの国も、「にほん」ではなく「にっぽん」と発音しますからね。西日本新聞の最初の報道は、「西南戦争」の戦況を伝えるものだったとか。長く医療面でコラムを書かせていただいているからでしょうか、記念祝賀パーティにお招きをいただきました。参加者800名、大規模なパーティでした。福岡出身のノーベル賞受賞者、大隅良典東工大名誉教授の新聞社社長によるインタビュー映像、姜尚中氏のビデオメッセージなど、斜陽と言われる厳しい新聞業界へのエールが興味深かったです。びっくりしたのは、80年来の新聞読者という94歳の大分県日田市の商工会の方の挨拶。自在なお話ぶりを伺う限り70歳にしか思えません。スクリーンに映るお顔もつやつや生き生き。最近は、若いイケメンには全く関心がなく、元気はつらつと年を重ねている男性に関心があります。どうしたら94歳まで、こうしていられるのかしらと、根掘り葉掘り取材したい気持ちになるのです。

ソフトバンクの王さんによる乾杯の音頭の後、料理が振る舞われたのですが、来場の方はほとんど福岡を中心に九州の経済界の男性ばかりです。ちらほらと写真でしか見たことのない文化人やスポーツ関係者も混じり、私は知り合いもない会場で、壁際に並ぶ九州のおいしいものを探して、広い会場をお皿を持って歩きまわりました。佐賀牛のローストビーフ、中華の名店のあんかけそば、すごくおいしいコンソメスープ。高価なすし店の握りずし。浅ましく口も利かずに食べていましたから、きっと血糖値がはね上がったことでしょう。会社のえらいさんや議員さんたちは名刺交換に忙しく、長老の方々は料理の前に素早く並ぶこともなく、静かに椅子に座って新聞社の若い人が料理を運ぶのを待っておられます。私は、おなかがいっぱいになると、創刊記念特別紙に読みふけりました。小倉時代の森鴎外の寄稿文など、面白い記事がありました。がん患者の話を聴くボランティア活動か、台所で夕飯の支度をしているか、教室で学生相手にしゃべっているだけの毎日なので、ときにはこんなパーティに紛れ込むのも楽しいです。ご招待いただければ、ですが。