アーカイブ

隣のまちこちゃん

昭和23年(1948年)生まれの私は、今年、70歳を迎えました。この秋は、小学校と中学校の古希記念同窓会に続けて出席。

今までの同窓会では味わったことのない、素直な懐かしい気持ちになりました。

大方の同級生は現役を退いて、昔のようにせかせかと仕事や子供の受験の話などはしません。これから一旗揚げてやろうなどいう野心もなく、お互い身体の不具合を披露しつつ、枯れた心境で、純粋に子供時代を語り合うだけですから。

そんな同窓会で幼馴染のまちこちゃんと会って、久しぶりにゆっくり話をしました。まちこちゃんと私は、幼稚園から高校まで一緒でしたが、一番仲良くしていたのは小学校時代。福岡市早良区藤崎の教職員住宅でお隣に住んでいた頃です。

まちこちゃんのお父さんは経済学の、私の父は教育学の教師でした。まちこちゃんは、歳の離れた弟と両親との4人家族。わが家は、年の離れた2人の兄に末っ子の私と両親との5人家族でした。教職員住宅は2階建て。当時は珍しいメゾネットタイプで、トイレは水洗。コンクリートのベランダと小さな庭と各戸に物置小屋がついていました。

まちこちゃんはバイオリンを習っていて、私はピアノを習っていました。毎日、まじめに一生懸命練習をしていたまちこちゃんは、音大を卒業してバイオリニストになりました。気まぐれにしか練習しなかった私は、途中でピアノを弾くのを止めてしまいました。

同窓会で、初めてしみじみと来し方を語り合った私達は、それぞれの家に帰って写真やメールを交換しました。以下、まちこちゃん所有の、幼稚園の時のツーショット。右がまちこちゃんで左が私です。あどけないですね。メールもまちこちゃんの許可を得て、公開します。

まちこちゃんへ

 古希同窓会は、ほんとうに楽しかったですね。Iさんとも久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。

「隣りのまちこちゃん」は、私のエッセイにときどき登場する女の子です。

まちこちゃんは、私のように夏休みの宿題帳をなくしたり、ラジオ体操をさぼったりしない、きちんとしたまっとうな女の子です。

まちこちゃんが大事にしていたままごと用の小さな陶製ポットの注ぎ口を私が割ってしまったときも全然怒らない優しい子です。

まちこちゃんは、お風呂上りに金魚模様の浴衣をきて、おでこに「天花粉」をちょっとつけて、お母さんと弟と夏祭りに出かけていました。

「金魚模様のゆかた、いいな~」と羨ましかったものです。

うちの母は「芸術家」だったので、母の手製のベトナム風のワンピースを着せられ、

帽子(三角形の)をかぶせられて困惑していた私は、まちこちゃんの普通の浴衣に憧れていました。

 

 

のぶこちゃんへ

なんだか心がほっこりそして、じーんとするメールを頂きました。

そして思うこと・・となりの芝生はあおいのですね!

私は伸子ちゃんの家がうらやましくて・・おばちゃんはとても

お料理上手で・・確か私が病気で休んでいた時グラタンをいただいたのです。

グラタンなぞうちの母が作れるわけなく、とても美味しくておまけに周りに

マッシュポテトの絞りが飾りについていました。そのようなグラタンはその後

お目にかかったことはありません! そしてプリンも美味しかった!

伸子ちゃんは末っ子の女の子だったので厳しくされなかったと思います。

わたしは長女で最初の子・・いやがおうにも厳しくしつけられいつも良い子を求め

られました。末っ子はいいな~と今でも思います。

とは言え、そんなこともあったかしらん?(金魚の浴衣は記憶にないのですが

母の姉の家が呉服屋だったので、浴衣もあったのでしょう)

本当に懐かしい~!

母と違って私は娘を厳しく育てませんでした。父親はもっともっと(笑)

生意気に生きていますが、親としては行先を案じるばかりです。

しばらく私は故郷から背を向けておりましたが、これからは少し振り返ってみようと

思います。 またお目にかかれるのを楽しみに! お元気で!

まちこより

写真 同封いたします。

 

 

 

 

百道浜(ももちはま)は、サザエさん発案の地

福岡空港から姪浜まで東西に走る市営地下鉄空港線。西新駅で降り、フレッシュネスバーガーの角を右折すると、そこから海の方向へ延びる通りが通称「サザエさん通り」です。ここは、修猷館高校・西南学院大学・高校・中学と西新小学校が立ち並ぶ学園通りでもあります。サザエさん通りの突き当りは、地下鉄と並行に室見川まで走る「よかとピア通り」です。その向うは埋立地の百道浜地域。25年前に造成された埋立地は、著名建築家のデザインによる高層マンション群、福岡タワーや博物館、ヤフードームやテレビ局など立派な建物が威風堂々と立ち並び、緑の並木を海風が吹き渡る近代的な洒落た街。でもその昔は、「よかとピア通り」が白砂青松の海岸線だったのです。60年前の夏、団塊世代の子供たちがまるで銭湯のように押し合いへし合いして泳いでいたものです。

この海岸で長谷川町子さんが「サザエさん」の登場人物の名前を思いついたということで、「サザエさん通り」と名付けられました。百道浜っ子だった私たち、よかトピア通りの向うに見えるBONREPASのあたりで泳いでいたんです。

漫画「サザエさん」は、福岡の地方紙、夕刊フクニチの連載から始まりました。石碑に当時のことを描いたマンガの一コマが貼りつけてあります。町子さん一家は、この海沿いの家に暮らしていました。病み上がりの妹さんに付き添って海岸を散歩しながら、登場人物を海産物の名前にしようと思いついたのだそうです。でも、あの当時、百道浜ではサザエは採れませんでした。あさりやマテ貝は採れましたけど。カツオも博多湾では釣れません。でも、磯野波平・フネ夫妻、長女サザエ、お婿さんのフグ田マスオ、カツオにワカメ・・楽観的な日本の庶民の代表的一家として、町子さんの想像の中から生まれて、今も生き生きと、日本のどこかで暮らしているようですね。私の小学生の頃、後ろは刈り上げで前はおかっぱの「ワカメちゃんカット」が流行っていましたっけ。

西南学院大学に今年新しい立派な図書館が完成しました。その図書館の前に、サザエさんと作者長谷川町子さんのブロンズ像が建っているんですよ。サザエさんが町子さんに内緒話をしている様子が面白いですね。

サザエさん通りの入り口にある修猷館高校。秀才揃いの県立進学校ですが、校風は自由。ジイジ氏の母校と伺っていますので、写真を写してきました。古い建物は取り壊されて、すべて鉄筋の新校舎に様変わり。レンガ造りの古い校門は一部ひっそりと残っています。最近は修猷館高校も女子生徒が増えました。☆の校章がついたセーラー服はそのままですが、スカート丈を超ミニにしてメイクをし、イチゴシェイク片手に彼氏と歩いています。学園通りは、今風にお洒落な雰囲気になりました。