アーカイブ | 7月 2021

銀メダルのひと

大分での講演から帰る車中で、とても不思議で魅力的な男性と隣り合わせになりました。頭は光っていて眉も白いので老人だとは思うのですが、パープルで統一したトレーナーとスニーカー、そしてその立ち居振る舞いの軽やかなこと。年齢がさっぱり分かりません。

 彼はリュックサックの中から新聞を取り出して、世界ベテランズ大会の種目別成績表を眺め、フムフムとひとり合点しています。身体中からうれしさ楽しさが発散しているのです。

 揺れる車中をひらひらとバランスを取りながら歩く姿は、ただの老人ではありません。ハハア、彼は宮崎のベテランズ大会でよい成績が取れたのでいそいそと帰る車中なのだと、私はひらめきました。

 というのは、前日の大分行きの車中でも大会のマラソンに出場するという選手とたまたま隣り合わせて、大会の内容や日程についてしっかり情報を仕入れていたので推理力が働いたわけです。

 さて、彼が話しかけてきたので「宮崎の大会でいいことがありましたか」と訊ねると、子供のように無邪気に目を見張って「あんたは霊能者?」「ええ、冝保愛子先生の弟子なんです」、私は両手を合わせながらクスクス笑いました。

 彼はベテランズ大会で、棒高跳びと三段跳びの銀メダルを獲って帰るところだったのです。75歳だということですが、その晴れ晴れとした表情、身軽さ、純真さ、とても年連が信じられません。

「あんたの仕事は?」と聞かれて「死の問題の研究者です」と答えると、「死、ねえ」と困った様子。

「僕は2年後のバッファロー大会で金メダルを狙うつもりでトレーニング計画を立てなくちゃならない。年々記録が伸びるので年を取るのが楽しみで仕方がないのです。死については今のところ関心がないね。あんたには申し訳ないけど...」

私は大笑いしてしまいました。この老人相手にターミナルケアの話は全く似合いません。

でも降りる間際、彼はふと真顔になりました。

「息子を17歳で亡くしました。肺がんで。東京オリンピックの直前だった。私はヤツの写真を胸ポケットに入れてオリンピックの審判を務めました。ヤツが死ぬ前、父ちゃんと一緒に行きたいと言ったもんで・・」

ひとりで下車すたあと、彼は私の窓のところへ来て、手をあげて目くばせをしました。それから競歩の足取りで腕を振り振りホームを歩き去ったのです。(完)

 *書棚の整理をしていたら、1992年に発刊したエッセイ集「カーテンコールが終わるまで」という本が出てきました。中に「銀メダルの人」という東京オリンピック開催中の今の時期にぴったりの内容のエッセイがありましたので、書き写してここに載せてみました。40代前半に書いたものです。宜保愛子さんの名前が出ていたりして、いかにも時代の隔たりを感じますね(笑)