アーカイブ | 12月 2018

隣のまちこちゃん

昭和23年(1948年)生まれの私は、今年、70歳を迎えました。この秋は、小学校と中学校の古希記念同窓会に続けて出席。

今までの同窓会では味わったことのない、素直な懐かしい気持ちになりました。

大方の同級生は現役を退いて、昔のようにせかせかと仕事や子供の受験の話などはしません。これから一旗揚げてやろうなどいう野心もなく、お互い身体の不具合を披露しつつ、枯れた心境で、純粋に子供時代を語り合うだけですから。

そんな同窓会で幼馴染のまちこちゃんと会って、久しぶりにゆっくり話をしました。まちこちゃんと私は、幼稚園から高校まで一緒でしたが、一番仲良くしていたのは小学校時代。福岡市早良区藤崎の教職員住宅でお隣に住んでいた頃です。

まちこちゃんのお父さんは経済学の、私の父は教育学の教師でした。まちこちゃんは、歳の離れた弟と両親との4人家族。わが家は、年の離れた2人の兄に末っ子の私と両親との5人家族でした。教職員住宅は2階建て。当時は珍しいメゾネットタイプで、トイレは水洗。コンクリートのベランダと小さな庭と各戸に物置小屋がついていました。

まちこちゃんはバイオリンを習っていて、私はピアノを習っていました。毎日、まじめに一生懸命練習をしていたまちこちゃんは、音大を卒業してバイオリニストになりました。気まぐれにしか練習しなかった私は、途中でピアノを弾くのを止めてしまいました。

同窓会で、初めてしみじみと来し方を語り合った私達は、それぞれの家に帰って写真やメールを交換しました。以下、まちこちゃん所有の、幼稚園の時のツーショット。右がまちこちゃんで左が私です。あどけないですね。メールもまちこちゃんの許可を得て、公開します。

まちこちゃんへ

 古希同窓会は、ほんとうに楽しかったですね。Iさんとも久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。

「隣りのまちこちゃん」は、私のエッセイにときどき登場する女の子です。

まちこちゃんは、私のように夏休みの宿題帳をなくしたり、ラジオ体操をさぼったりしない、きちんとしたまっとうな女の子です。

まちこちゃんが大事にしていたままごと用の小さな陶製ポットの注ぎ口を私が割ってしまったときも全然怒らない優しい子です。

まちこちゃんは、お風呂上りに金魚模様の浴衣をきて、おでこに「天花粉」をちょっとつけて、お母さんと弟と夏祭りに出かけていました。

「金魚模様のゆかた、いいな~」と羨ましかったものです。

うちの母は「芸術家」だったので、母の手製のベトナム風のワンピースを着せられ、

帽子(三角形の)をかぶせられて困惑していた私は、まちこちゃんの普通の浴衣に憧れていました。

 

 

のぶこちゃんへ

なんだか心がほっこりそして、じーんとするメールを頂きました。

そして思うこと・・となりの芝生はあおいのですね!

私は伸子ちゃんの家がうらやましくて・・おばちゃんはとても

お料理上手で・・確か私が病気で休んでいた時グラタンをいただいたのです。

グラタンなぞうちの母が作れるわけなく、とても美味しくておまけに周りに

マッシュポテトの絞りが飾りについていました。そのようなグラタンはその後

お目にかかったことはありません! そしてプリンも美味しかった!

伸子ちゃんは末っ子の女の子だったので厳しくされなかったと思います。

わたしは長女で最初の子・・いやがおうにも厳しくしつけられいつも良い子を求め

られました。末っ子はいいな~と今でも思います。

とは言え、そんなこともあったかしらん?(金魚の浴衣は記憶にないのですが

母の姉の家が呉服屋だったので、浴衣もあったのでしょう)

本当に懐かしい~!

母と違って私は娘を厳しく育てませんでした。父親はもっともっと(笑)

生意気に生きていますが、親としては行先を案じるばかりです。

しばらく私は故郷から背を向けておりましたが、これからは少し振り返ってみようと

思います。 またお目にかかれるのを楽しみに! お元気で!

まちこより

写真 同封いたします。