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源平桃、今年も開花。

毎年、楽しみにしている源平桃の季節が今年もやって来ました。一本の木に、紅白の花が咲き競う様子を源平合戦になぞらえて命名されたのでしょうか。典雅な名前です。ここ10年ほど、わが庭のささやかな竹林の前で華やかに開花し、家族を喜ばせてくれます。小ぶりな桃の実に似た実をつけますが、食べられません。

この花が開くと、春になったと思います。花の季節はすぐに過ぎ去り、私も連れ合いも、猫も、確実に年老いて別れが近づいていると感じる、無常の景色でもあります。

 

 

 

 

 

いまさらですが、「鬼平犯科帳」が面白い。

時代小説が好き。それも、とびきり勧善懲悪の物語が好きです。池波正太郎の「剣客商売」は全巻読破しました。今、電子書籍で読んでいるのは「鬼平犯科帳」シリーズ。全24巻のうち11巻目を読み終えたところです。江戸中に名を知られた鬼の平蔵こと、長谷川平蔵は、放火や強盗など凶悪犯を取り締まる火付盗賊改方長官。自身も若き日、訳あって放蕩無頼の日々を過ごし、人の気持ちの裏も表も知り尽しています。凶悪な強盗達を無敵の立ち回りでバッタバッタとなぎ倒し、「火盗改メの長谷川平蔵であるぞ。神妙にお縄を頂戴しろ!」。朗々と呼ばわる決めゼリフ。「いよっ、待ってました」と私はスカッとして心の中で拍手喝さい。

電子書籍の鬼平犯科帳は1巻5~600円。24巻読了すれば1万数千円かかります。ブックオフで購入したほうが安上がりだと気づき、12巻からは310円で古本を購入することにしました。年金生活者は、本代にも気を遣います。

さて、池波正太郎の文章は雑味のない透明度の高いもので、センテンスが短く無駄がありません。簡潔な描写の中に、景色や時間がくっきりと浮かび上がってきます。先日、日暮れ時に福岡城(舞鶴城)跡の掘沿いの道を歩いていると、「鬼平犯科帳」の一節を思い出しました。

「西空の果てに、血のような夕焼の色がわずかに残っていたけれども、これが夜の闇に変わるのは間もなくのことだ。その暗くなった道を、旅の男は前田原をぬけて行くことになる」(第8巻)

福岡城堀沿いの柳並木の道は、江戸時代の残り香が漂っているようで、私は子供の頃から好きなのです。もう少し西に歩くと、睡蓮が川面に繁り、清らかな純白の花を咲かせる場所があります。以前、この堀の左手の城内に国立病院がありました。私が最初の甲状腺がんの手術を受けた病院でもあり、母の膵臓がんが見つかったところでもあります。母の担当医から病状の説明を聞くために、病院へ急いでいる時、堀を渡る橋の下一面に、白蓮が浄土の花のように美しく咲いていたのを思い出します。

 

 

今年は筆トレ!懸賞小説に応募してみよう。

最近、とても筆不精になっています。足腰の衰えた高齢者が出不精になるように、文章を書くのが面倒くさくなってしまいました。週1で新聞連載をしていた2~3年前までは、割合、自由自在にものが書けたように思います。連載というのはすぐに締め切り日がやってきます。書くネタが尽き果てても、書かないわけにはいきません。締め切りに追われて必死で走り続ける毎日。その頃は、古いネタをまるで新品のようにリメイクし、レースやリボンで飾り立てるレトリック(修辞)の技も持っていたのですが、もういけまっせん。メールの返信すら億劫です。筆力は筋力と同じように、毎日、ある程度の負荷をかけて鍛えなければ衰えてしまいます。

そこで、今年は筆力を上げるために筆トレをすることにしました。トレーニングには、楽しい目標がなければ続きません。特に私のようなズボラには。そこで、書店で「公募ガイド」2月号を購入しました。「公募ガイド」は、小説やエッセイ、フォト、デザインなど、賞金・賞品のついた公募を網羅した月間ガイドブック。企業主催の、ちょっとしたネーミングコンテストや、○○市のゆるキャラデザイン募集なんてのもあります。「えっ、賞金100万円!(._.)。応募してみようかな。締め切りは?もし受賞したらどうしよう」なんて、獲らぬ狸の皮算用をしている時が一番楽しいのですよね。・・で、今年は、関東地方の或る行政が主催している原稿用紙100枚くらいの小説の賞に応募しようと心に決め、ちょっとワクワクしているところです。構成も筋書きもあらかた決まっているので、とにかく書き始めなきゃ。皆さま方の今年の計画は、いかようなものでしょうか?

(以下の写真はわが家の玄関の一角。新年の花と兄(自然窯)の陶器を飾っています)

真夏の夜の怪談(その3)・完結編 平成 31年 正月

    JR日光駅

「真夏の夜の怪談」。前回は、夜中に暗い部屋の天井に光が走り、壁にはサムライの大きなシルエットが浮かび上がって、慌てて飛び起きた旅先のホテルでの恐怖体験をお話したのでしたね。すわ、東照宮の奥の院に祀られている徳川家康公の亡霊出現か!?というところで話は終わり、後は<続く>。大仰な書き方で読者の興味を煽っておきながら、いつまで経っても続編を掲載せず、皆さまには不消化な思いをさせて申し訳ありませんでした。間が空き過ぎて、今更感満載ですが、責任上、続編を書きますね。

連れ合いと手分けして、物の怪の正体を突き止めることになった私は、洗面所であの叫び声を、難なく再現することができました。なんということはない、浴室の水道栓が古い手回しタイプで、ある角度になると「キーッ」と女性の叫び声のようなきしみ音が発生するのです。そういえば、お湯を出している間は、気味の悪い叫び声がしましたが、シャワーを止めると叫び声も止まりました。

天井を走る明かりは、私のベッドの枕元のライトが完全に消えておらず、時々、行灯のように息づき、明るくなったり、暗くなったりして天井を照らすのでした。つまみを最後まできっちり回して完全に消灯すると、天井を走る明かりも消えてしまいました。

連れ合いは、部屋の電気をつけて壁掛けテレビの裏を調べています。テレビの裏の配線の具合でしょうか。右裏で小さな青い光が定期的についたり消えたりしていて、部屋を暗くすると、まるで右袖がパタパタと動いているように見えるのです。黒い幅広の柱、黒縁の壁掛け時計。その下に大きな壁掛けテレビ。一番下には黒い引き出し。見ようによっては、着物を着てドッシリ座っている大きな人影が団扇か扇子かであおいでいる姿のようでもあります。

部屋中の灯りをつけて、やれやれ、一件落着。お茶でも飲みましょうかと、ふとカウンターの上を見ると、1枚の紙が…。「ただ今、当ホテルでは全館電気工事をしております。不具合がありましたらご容赦ください。」ですってさ。

廊下を走るスリッパか草履かの足音の正体は分からないままでした。座敷ワラシではなく、小さな子供たちがスリッパを履いて走り回っていたのかもしれません。いずれにしても妙な宿でした。

怪談というのは、ビクビクしている時の見間違いや思い込みから始まるもののようです。でも、その時の不気味な雰囲気や恐怖感は結構根深くて、トラウマというほどではありませんが、後引きます。

実は、このささやかな怪談を書いている時、日光でフランス人女性が行方不明になったというニュースが報じられました。私達の滞在とは重なっていないのですが、あの鬱蒼とした森や急流が日本好きの36歳の養護教諭を呑み込んだのではないかと思うと、怖くなってしまうのです。

その女性は、昨年7月28日に、ひとりでJR日光駅に降り立ち、ホテルに一泊した後、翌29日の午前中、軽装で出掛けたまま、戻って来ませんでした。スーツケースもパスポートも部屋に置かれていて、近くを散策するつもりだったようです。女性にはてんかんの持病があり、毎日の服薬が欠かせませんでした。私にも持病があり、注射や薬がないと生死に関わります。定期的に検査もしなくちゃなりませんから、外国でふらっと行方をくらますなんてありえません。栃木県警は、川やダムや森林の中まで警察犬やドローンを使って必死に捜索しました。女性の家族も来日して駅でビラを配ったり、安倍首相やマクロン大統領に直訴したのですが、それから5ヵ月余り経った今も、行方不明のままです。携帯電話のGPS機能はホテル周辺で途絶えているとのこと。昨夏の暑さは慣れた日本人にも耐えがたいものでした。疲れからてんかん発作が誘発されて川に転落し、折しも前日までの雨で増水した流れに揉まれてダムを通り抜け、海に出てしまったのではないかと推測されているとのこと。そうとでも考えなければ、まるで神隠しのような失踪です。早く見つかりますように。

(おわり)

 

真夏の夜の怪談 (その2)

日光東照宮は、徳川家康を祀った神社です。1616年、元和2年。家康は数え年75で亡くなっています。胃がんだったと言われていますが、当時としてはとても長命ですよね。遺言に従い、遺体は隠居ずまいのあった駿河の久能山に埋葬され、葬儀は徳川家の菩提寺である江戸の増上寺で行われました。また、これも遺言通り、1周忌には久能山から日光東照宮に分霊されました。家康は、死後、自分が樹立した徳川幕府と配下に収めた諸国を、神となって守ってあげようと考えたのです。日光は江戸城の北方向です。方角的に日光は江戸城の鬼門でもあり、同時に不動の北極星への道でもあります。北極星を背負ったこの位置から、江戸城の守護神として永遠に力を振るい続けようと壮大な死後の計画を立てた徳川家康は、一体どんな人物だったのでしょう。

杉木立の間を、167段の石段を上り詰めた奥宮に、家康の墓所はありました。

極彩色で絢爛豪華な東照宮の陽明門界隈に比べると、奥宮は、金属でできた八角形の簡素な霊廟です。鶴と亀の置物が置かれているほかは、装飾らしいものもなく何とも地味な佇まい。でも、辺りには、山の荘厳な気配がただよっています。このお墓のデザインも家康が考案したものでしょうか。東照宮には、子孫の忖度も含めて、隅々まで支配者としてのこだわりが見て取れます。家康は、もしかして、自分の墓所に海外から外国人が押し寄せる現状も想定していたのではないかしらん、と思えるほど、見るものを飽きさせない意匠の凝らし方です。

そしてその夜、泊まったホテルの部屋に、なんと、その家康の「亡霊」が現れたのです。

掃除は行き届いているものの、古い仕様のホテルでした。フロントでは、カードキーではなく昔風のプラスチックの角棒型キーホルダーのついた鍵を渡されました。ドアを開けると、かなり広いツインルーム。窓は無く、壁の一部が四角く部屋側に張り出しており、そこに鍵のある小さな扉がついています。扉の取手は、押しても引いてもビクともしません。まるで裏にもう一部屋小部屋があるような、妙な作りなのです。壁には幅広の黒い板が貼られ、そこに大型の壁かけテレビが取りつけられていました。暑い中、家康の墓所 までの長い石段を登り下りしたので、脚が弱い連れ合いは疲れ果てたらしく、早々に寝てしまいました。

今夜は私も早仕舞い。そう思いながら入浴の準備をしていると、廊下をパタパタと走る音がします。部屋の前を何人かの人が慌ただしく行ったり来たりしている様子。スリッパか草履か、そんな感じの足音です。「なんだろう?」と、そっとドアスコープから覗いて見ましたが、人の姿はなく前の部屋のドアも閉まっています。あれ、変だなー、確かに今、足音がしていたのに・・と不思議に思いながらシャワーを浴びました。水道栓をひねる旧式のシャワーです。髪を洗っていると、突然、すぐ近くで「キャーッ!」という鋭い叫び声が聞こえます。慌てて水を止めてシャワーカーテンの隙間から覗いたのですが、浴室には誰もいません。隣の客室で何事かあったのかしら、あの足音と悲鳴は何だったのだろう。気味が悪くなった私は、大急ぎで髪を乾かしました。ドライヤーを使いながら、鏡に見知らぬ人の顔が映るのではないかとビクビクしています。私は臆病な方ではありません。縁起を担ぐこともなく、神仏に縋ることもなく、子供の頃から心霊現象なんてちゃんちゃらおかしい、と思ってきた合理的なタイプの人間です。その私が、なぜかその夜に限って物の怪に怯えてビクビクしているのです。もうとにかく、早く寝てしまおう、朝になったら気分も変わっているだろう。

眠っている連れ合いを起こさないようそっとベッドにもぐりこみ、入眠剤を半錠飲んで枕元のランプを消しました。眠りに落ちようとするとき、馬が何百頭も目の前を駆け抜けていくような光景を見ました。

誰かの声がします。「寝てる?」。連れ合いの声です。どうしたんだろう。この人も豪胆な人間です。これまで、寝ている私を夜中に起こすようなことはありませんでした。「さっきから、天井に明かりが走ったり消えたりしているんだけど」。寝ぼけまなこで天井の様子を見ていると、確かに部屋がボウッと明るくなり、しばらくすると暗くなります。寝たまま頭を巡らすと、私の枕元の電灯が勝手についたり消えたりしているのです。行燈みたいに。そして、暗くなると壁に人影が浮かび上がります。

うちわのようなものでパタパタと身体を扇ぎながら、どっしりと座っている人影。右の袖が揺れています、連れ合いが備え付けの浴衣を着ているのかな?うちわは、昨日、はとバスでもらったもの?連れ合いに訊ねます。「暑いの?」「どうして?」「だって、あなた、さっきからうちわで扇いでいるじゃない。ベッドに座ってさ」というと連れ合いは一瞬黙りこんで、それから言いました。「ずっと横になってるよ」。え~っ、だったら、あれは誰の影?あの戦国の武将みたいなシルエット。もう、ホント、関ケ原の徳川家康じゃないですか。天下分け目の軍配を振っています。半分、寝ぼけていた私はベッドに飛び起きました。枕元の時計を見ると午前2時。丑三つ時です。(つづく)

梅雨。ですが、私の鬱は明けました!

皆さま お変わりございませんか? 桜の季節から、ふた月余りもご無沙汰していました。コメントをいただいてもお返事もできずに失礼しました。はや6月。梅雨に入って、辺りの景色は湿っぽく鬱陶しいのですが、私の気分はとても明るくなりました。精神科のかかりつけ医や睡眠障害の専門医のおかげで、半年ほども続いた長いうつ症状もようやく終焉。「気分障害」ですから、治ってみると、あの暗い霧の世界、焦りと不安に翻弄されていた日々は何だったのだろう?と、実感のない記憶の世界になってしまいます。おそらく、一番、治療効果があったのは、毎晩11時半に寝て、規則正しく8時間の睡眠を取ったことです。それまで、10年以上も2~3時就寝でしたから。鬱になってからは早朝に目が覚めて3~4時間しか眠れていませんでした。ぐっすり眠れるのがこんなに気持ちの良いものとは知りませんでした。大学の隣にある修猷館高校の塀沿いの並木道。若葉が雨に濡れている様子がとてもきれいです。若葉に感動するってこんなにウキウキと嬉しいことなのですね。修猷館高校の卒業生の皆さん。これは懐かしい記憶を呼び覚ます写真ではありませんか?

   

そうだ。大学の後輩、香川うどんに見せてあげようと思って写した、学食ランチ「和定食」の写真もアップしておきます。小ライスなので420円。昔の学食に比べると、建物もランチの内容もおしゃれな感じ。ものすごく美味しいとは言えませんが、安いし量がたっぷりあるし、栄養バランスも良いので、学生だけでなくご近所の子連れのママたちにも人気のようですよ。私は、昼下がりの、静かになった学食で、ひとりゆっくり遅めのランチを取るのが好きです。

柳井の金魚ちょうちん

毎年7月になると、「柳井の金魚ちょうちん」を棚の奥から取り出して玄関に飾ります。私のささやかな夏の楽しみ。網戸から入るそよ風に、金魚の親子がゆらゆらと揺れています。天井に吊るした青いガラスのランプシェードがまるで金魚鉢のように見えるでしょう?10年以上前に、山口県在住の知人から頂いた県の特産品ですが、箱を開けた瞬間に一目惚れ。早く飾ってみたいとワクワクしました。色といい、形といい、なんと可愛らしくて生き生きとした造形でしょうか。曲げた竹ひごに紅白に染め分けた和紙を張って、お目々は墨で黒々とパッチリと描かれています。

柳井は山口県の広島寄りに位置する港町です。先日、柳井港からフェリーで愛媛に渡る旅行をしたことはここで書きましたよね。フェリーの客室の天井に古ぼけたちょうちんがたくさん下がっていました。「そうだ。親しい人へのお土産に買って帰ろう」と、帰りに柳井市内の郷土民芸品店を探したのですが、もう日も暮れる頃なので産物店は締まっています。市内のどこにも下がっていにないのです。柳井市商工会議所に電話をして、まだ空いているお店を教えてもらい、やっとのことで棚の上に一個だけ残っていたちょうちんを売ってもらいました。金魚ちょうちんは廃れたのかな~と心配していたのですが、どこかに山ほど隠し持っていたのですね。

お盆が近づく頃、柳井市では金魚ちょうちんまつりが盛大に開かれます。浴衣を着た子供たちが、これでもかというくらいの金魚ちょうちんの下で可愛く踊っているニュースをTVでやっていました。私たちが行った5月ごろは、祭りのためにちょうちんを販売していけないというお触れが出ていたのかもしれません。

『がっかり』しない観光名所。札幌の時計台

ここ数か月、持病の糖尿病が良くありません。それでも猛暑酷暑の7月下旬、北海道まで観光旅行に出かけました。この体調不良の中、ヘロヘロしながら観光旅行?と自分でも思ったのですが、まあ、ずっと前から予定していましたからね。行くしかなかったのですよ。北海道、初めてですし。

福岡空港から新千歳空港まで2時間半。新千歳空港からJRで札幌駅まで20分。駅で昼食をすませ、北大のそばの静かなホテルの部屋に納まったのは、家を出てから6時間後。割に早く着くもんですね。九州から北海道まで。気温は18度、札幌市街の碁盤状の道路には涼しい風が吹き抜けているのですが、エネルギッシュな中国人観光客が溢れていて熱気むんむんです。聴こえる会話の8割は中国語。ばっちりバレリーナ風ポーズを決めての記念撮影に驚いて見とれる私。

ホテルの洗面台で顔を洗おうとしたら、水が冷たくて良い気持です。駅の中のカフェで食べたソフトクリームの何と言うおいしさ!新鮮な生クリームのコクと滑らかさがたまりません。インスリン注射を追加打ちしてでも食べたい、禁断のおいしさです。3日の滞在で4個食べました。あ~、北海道のソフトクリームの罪深き美味の虜に。ブルーベリーに似た「ハスカップ」のジャムを載せるとまた違った可愛らしい味わいになります。

下の写真は、「日本三大がっかり名所」のひとつと言われる札幌の時計台ですが、「あら、素敵!どこが、がっかり?」というのが私の感想。明治の洋館風な建物が大好きですし、都会のビル群の中に、夏木立に囲まれた白いペンキ塗りの建物が爽やかです。この建物は、札幌農学校の演舞場だったとか。

旧北海道庁舎。赤レンガの美しい建物と庭。周りは観光客でいっぱいなのですが、たまたま誰もいない空白の瞬間があり、絵葉書みたいに静かな写真が撮れました。館内に入り、ガイドボランティアさんから、ゆっくり北海道の歴史を解説してもらいました。クラーク博士が、弟子たちと別れる場面を描いた油彩の絵の前で初めて知った事実。それは、クラーク博士が9か月しか札幌農学校にいなかったことです。でも、「青年よ、大志を抱け」という言葉は、日本では永遠に残りそう。

小樽の運河は、私的には「がっかり度」最高でしたね~。この日は、急に気温が上昇して32度。北国とは思えない、じりじりとした暑さ。途絶えることなく押し寄せ、観光スポットの前で写真を撮り合う観光客の波、波。客引き。暑さと人混みと、典型的な観光地特有の雰囲気に当たってしまい、早々に札幌に戻りました。

 

 

四国のお土産 草の葉で作ったバッタ

四国旅行から持ち帰ったお土産。草で作ったバッタです。トノサマバッタかイナゴのような堂々とした姿で、実にリアル。今にも跳びはねそうではありませんか。伝統的な草遊びが残っている大洲(おおず)の町の、無人のお店で見つけました。市内を流れる肱川はゆったりとして清々しい景色です。