カラスの子が庭に迷い込む

夕方、帰宅すると、庭にハシブトガラスの子供がいました。連れ合いがウッドデッキを補修しているのですが、その材木の上にうずくまって不安そうに空を見上げています。体長25センチほど。まだ尾羽がなく丸い体型です。最近、うちの庭によくカラスがやって来ます。子ガラスも自分で迷い込んだのか、親と一緒に飛んで来て、力尽きたのか分かりません。

連れ合いは「どうする?水が飲みたいのかもしれない」と心配そうです。私は、老猫メロンを動物病院に連れて行った時、待合室に貼り紙があったのを思い出しました。野鳥のヒナを見つけたら、触らないで、そのままに。と書いてありました。必ず親鳥が近くにいるのだそうです。人間が余計な手出しをすると親鳥が警戒して寄りつかず、助かるものも助からないかも、と連れ合いに言うと、保護する気まんまんだったので残念そうでしたが、そっと見守ることになりました。

親や仲間のカラスたちが、近くの屋根や電線の上に10羽近く集まって、ナントカちゃんがおっこっちゃった、あー、どうしたものか、とカァカァ大騒ぎをしています。子ガラスは庭から玄関へチョンチョンと歩いて移動し、閉まった門扉に体当たりして外へ出たがっています。

私は外に出て、上から見張っている大人のカラスたちに襲われないように、さりげなく、郵便受けを覗いたりしながら、門扉を全開して家に戻りました。二階から見ていると、子ガラスは門を出て車寄せに暫くうずくまっていましたが、頭上の親鳥の指示でしょうか、家の前の細い道をチョコチョコ歩いて行きました。数軒先のお宅の庭に、それはそれは大きな木があって、鳥が巣を掛けているのが見えます。カラスの巣かもしれません。でも、この子ガラスは、まだあんな高いところまで飛ぶことはできないでしょう。親鳥や近所のおばさんカラスたちは、落ちたヒナを草むらにでも隠して餌を運び、飛べるようになるまで地上で育てるのでしょうか。

翌日も、子ガラスが家の前の道を、頼りなげに歩いていました。見上げると大人カラスが数羽、電線の上から私を警戒しながら見下ろしています。もし、猫に襲われそうになったら、飛び降りて来て追い払うのでしょうが、交通事故に遭わないか気がかりです。でも、野鳥は自然に任せるしかありませんよね。頑張れ!カラスの親子。


「鬼平犯科帳」長谷川平蔵は片えくぼ

半年周期で鬱状態を繰り返す、厄介な気質の私。今年は1月から4月まで鬱期でした。このブログを読み直すと、昨年も、梅雨入りまで鬱期だったようです。最悪の気分を何とか持ち直そうと自助努力をする中で、池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズに助けられました。

子供の頃から、月光仮面やスーパーマン、ウルトラマンなど、勧善懲悪のヒーローものが大好きでしたが、彼らは人間が変身したもので、ロボット風な正義の味方。生身の人間の、生き生きとした魅力はありません。江戸の火付け盗賊改め方長官、長谷川平蔵宣以(のぶため)の元ヤン的キャラは人間味あふれ、個性的で魅力的です。こんなに小説の主人公に夢中になったのは、中学時代の「赤毛のアン」、高校時代の「シャーロック・ホームズ」以来です。

映画やドラマと違って、小説の場合は、お気に入りの主人公の姿形は、読者それぞれが想像するしかありません。鬼平は、どんな見た目だったのでしょうか。テレビドラマでは鬼平役は2代目中村吉右衛門でした。年の頃は40代始め。剣術一刀流の名手で、名刀、粟田口国綱を携え、極悪人相手の立ち回りも鮮やかで、颯爽としてカッコいい。愛妻家で人情家で理想の上司です。

一体、どんな様子の良い男だったのでしょうか。作者の池波正太郎さん自身が編纂した鬼平辞典ともいうべき「鬼平犯科帳の世界」によると、中肉中背の穏やかな風貌、笑うと片えくぼが出来る可愛げのある見た目の中年男性のようです。でも、問答無用で犯人を切り捨て、鼻を削ぎ落とし、捉えた罪人に拷問も辞さない残酷なところもある厳しい役人でもありました。若い頃は盗みの手伝いもした無頼な鬼平の言葉は「悪を知らない者に悪を裁けるか?」というものでした。この人、実在の人物だということです。

 

不死身猫メロン、まもなく19歳

わが家の老猫メロン、この5月で19歳になります。人間で言えば92歳だとか。野良出身なので正確な誕生日は分かりません。19年前の7月、(果物の)メロンの産地でもある熊本県の植木インターで、車にはねられて死んだ母猫の横で震えていたとのこと。保護した人から頼まれて譲り受けました。その時、すでに「メロン」という名がつけられていました。

生後2ヵ月くらいの、毛虫みたいに貧相な毛並みの怯えた仔猫でした。成猫になっても美猫にはなりませんが、まあ、その賢いこと。トカゲやネズミ、鳩でさえ見事に捕獲して見せに来ます。アレルギーや副鼻腔炎を持っていて、何度も呼吸困難になり、目や鼻や耳から膿を出し、病院に連れて行くこと数十回。抗生剤やステロイド治療で助かりました。この数年も、半年置きにもうダメかというような膿だらけ、血だらけ、呼吸困難状態に陥り、その度に近所の山本動物病院で命を助けていただきました。でも、どんな名医にかかっても、猫自身の体力や生命力がなければ生き延びることはできません。わが家の猫は、不死身かと思うくらいの生命力を持っているようです。

そのメロンも最近は難聴になり、判断力が鈍り、夜、すごい声で家族を起こします。角がとれて(猫の性格の角って、なんなん?)、穏やかな甘えん坊になりました。病気持ちなのに、結構しぶとく、明るく?年を重ねている老猫メロン。同じく病気持ちの飼い主は、先行きの心配で鬱々としていますが、猫メロンは、飼い主みたいな余計な心配をせず、ゆったりと今を生きています。

(上の写真 )   持病があるのに、90歳とは思えない若々しさです。

(下の写真)   お天気が良い日は、テラスで日向ぼっこをたのしみます。

源平桃、今年も開花。

毎年、楽しみにしている源平桃の季節が今年もやって来ました。一本の木に、紅白の花が咲き競う様子を源平合戦になぞらえて命名されたのでしょうか。典雅な名前です。ここ10年ほど、わが庭のささやかな竹林の前で華やかに開花し、家族を喜ばせてくれます。小ぶりな桃の実に似た実をつけますが、食べられません。

この花が開くと、春になったと思います。花の季節はすぐに過ぎ去り、私も連れ合いも、猫も、確実に年老いて別れが近づいていると感じる、無常の景色でもあります。

 

 

 

 

 

いまさらですが、「鬼平犯科帳」が面白い。

時代小説が好き。それも、とびきり勧善懲悪の物語が好きです。池波正太郎の「剣客商売」は全巻読破しました。今、電子書籍で読んでいるのは「鬼平犯科帳」シリーズ。全24巻のうち11巻目を読み終えたところです。江戸中に名を知られた鬼の平蔵こと、長谷川平蔵は、放火や強盗など凶悪犯を取り締まる火付盗賊改方長官。自身も若き日、訳あって放蕩無頼の日々を過ごし、人の気持ちの裏も表も知り尽しています。凶悪な強盗達を無敵の立ち回りでバッタバッタとなぎ倒し、「火盗改メの長谷川平蔵であるぞ。神妙にお縄を頂戴しろ!」。朗々と呼ばわる決めゼリフ。「いよっ、待ってました」と私はスカッとして心の中で拍手喝さい。

電子書籍の鬼平犯科帳は1巻5~600円。24巻読了すれば1万数千円かかります。ブックオフで購入したほうが安上がりだと気づき、12巻からは310円で古本を購入することにしました。年金生活者は、本代にも気を遣います。

さて、池波正太郎の文章は雑味のない透明度の高いもので、センテンスが短く無駄がありません。簡潔な描写の中に、景色や時間がくっきりと浮かび上がってきます。先日、日暮れ時に福岡城(舞鶴城)跡の掘沿いの道を歩いていると、「鬼平犯科帳」の一節を思い出しました。

「西空の果てに、血のような夕焼の色がわずかに残っていたけれども、これが夜の闇に変わるのは間もなくのことだ。その暗くなった道を、旅の男は前田原をぬけて行くことになる」(第8巻)

福岡城堀沿いの柳並木の道は、江戸時代の残り香が漂っているようで、私は子供の頃から好きなのです。もう少し西に歩くと、睡蓮が川面に繁り、清らかな純白の花を咲かせる場所があります。以前、この堀の左手の城内に国立病院がありました。私が最初の甲状腺がんの手術を受けた病院でもあり、母の膵臓がんが見つかったところでもあります。母の担当医から病状の説明を聞くために、病院へ急いでいる時、堀を渡る橋の下一面に、白蓮が浄土の花のように美しく咲いていたのを思い出します。

 

 

発達障害(ADHD)と森田療法 市民公開セミナーの案内

2019年2月17日、14:00〜16:30、発達障害のセミナー開催! 子供から大人まで、ADHDがご心配な方はどうぞ!参加費は無料。九大教授、准教授〜すっごい専門家のお話と、当事者はスミマセン、不肖、波多江です。会場は、福岡市健康づくりサポートセンターあいれふ講堂。申し込み不要。先着100名さま。主催者、九大医学部大学院内、九州森田療法研究会。と、患者会の「生活の発見会」。詳細は以下のチラシをご覧ください。

0117チラシ最終

 

ひょっとして、自分も「発達障害」?と気になる人、すごく多いのではないですかね。家族や友達、職場の同僚のそれっぽい人は、もっとずっとたくさんいるはずですよね。

空気が読めない、約束を守れない、凡ミスを繰り返す、片付けられない、いきなり突拍子も無いことを言う、落とす、失くす、忘れる、取り掛かりが遅い…一緒に仕事をすると困る相手です。私(波多江伸子)も発達障害の仲間、ADHD(注意欠如多動症)らしくて、若い頃はずいぶん悩みました。

発達障害って1つの病名、障害名ではありません。ADHDや、よく知られたアスペルガー症候群、自閉症など何となく大部分の人と手触りの違う、どことなく似た雰囲気の変わった子供や大人を、「定型発達」と引き比べて「発達障害」と呼ぶらしいです。障害というより非定型発達と呼んだ方が良さそうですが。認知症にしても発達障害にしても、そんなに神経質になって悩んだり薬で治したりしなくちゃならないことでしょうか。100年前に考案された日本独自の精神療法、森田療法が神経質の時代である現代に役に立つかもしれません。

そんな話を、3人でするつもりです。

 

今年は筆トレ!懸賞小説に応募してみよう。

最近、とても筆不精になっています。足腰の衰えた高齢者が出不精になるように、文章を書くのが面倒くさくなってしまいました。週1で新聞連載をしていた2~3年前までは、割合、自由自在にものが書けたように思います。連載というのはすぐに締め切り日がやってきます。書くネタが尽き果てても、書かないわけにはいきません。締め切りに追われて必死で走り続ける毎日。その頃は、古いネタをまるで新品のようにリメイクし、レースやリボンで飾り立てるレトリック(修辞)の技も持っていたのですが、もういけまっせん。メールの返信すら億劫です。筆力は筋力と同じように、毎日、ある程度の負荷をかけて鍛えなければ衰えてしまいます。

そこで、今年は筆力を上げるために筆トレをすることにしました。トレーニングには、楽しい目標がなければ続きません。特に私のようなズボラには。そこで、書店で「公募ガイド」2月号を購入しました。「公募ガイド」は、小説やエッセイ、フォト、デザインなど、賞金・賞品のついた公募を網羅した月間ガイドブック。企業主催の、ちょっとしたネーミングコンテストや、○○市のゆるキャラデザイン募集なんてのもあります。「えっ、賞金100万円!(._.)。応募してみようかな。締め切りは?もし受賞したらどうしよう」なんて、獲らぬ狸の皮算用をしている時が一番楽しいのですよね。・・で、今年は、関東地方の或る行政が主催している原稿用紙100枚くらいの小説の賞に応募しようと心に決め、ちょっとワクワクしているところです。構成も筋書きもあらかた決まっているので、とにかく書き始めなきゃ。皆さま方の今年の計画は、いかようなものでしょうか?

(以下の写真はわが家の玄関の一角。新年の花と兄(自然窯)の陶器を飾っています)

真夏の夜の怪談(その3)・完結編 平成 31年 正月

    JR日光駅

「真夏の夜の怪談」。前回は、夜中に暗い部屋の天井に光が走り、壁にはサムライの大きなシルエットが浮かび上がって、慌てて飛び起きた旅先のホテルでの恐怖体験をお話したのでしたね。すわ、東照宮の奥の院に祀られている徳川家康公の亡霊出現か!?というところで話は終わり、後は<続く>。大仰な書き方で読者の興味を煽っておきながら、いつまで経っても続編を掲載せず、皆さまには不消化な思いをさせて申し訳ありませんでした。間が空き過ぎて、今更感満載ですが、責任上、続編を書きますね。

連れ合いと手分けして、物の怪の正体を突き止めることになった私は、洗面所であの叫び声を、難なく再現することができました。なんということはない、浴室の水道栓が古い手回しタイプで、ある角度になると「キーッ」と女性の叫び声のようなきしみ音が発生するのです。そういえば、お湯を出している間は、気味の悪い叫び声がしましたが、シャワーを止めると叫び声も止まりました。

天井を走る明かりは、私のベッドの枕元のライトが完全に消えておらず、時々、行灯のように息づき、明るくなったり、暗くなったりして天井を照らすのでした。つまみを最後まできっちり回して完全に消灯すると、天井を走る明かりも消えてしまいました。

連れ合いは、部屋の電気をつけて壁掛けテレビの裏を調べています。テレビの裏の配線の具合でしょうか。右裏で小さな青い光が定期的についたり消えたりしていて、部屋を暗くすると、まるで右袖がパタパタと動いているように見えるのです。黒い幅広の柱、黒縁の壁掛け時計。その下に大きな壁掛けテレビ。一番下には黒い引き出し。見ようによっては、着物を着てドッシリ座っている大きな人影が団扇か扇子かであおいでいる姿のようでもあります。

部屋中の灯りをつけて、やれやれ、一件落着。お茶でも飲みましょうかと、ふとカウンターの上を見ると、1枚の紙が…。「ただ今、当ホテルでは全館電気工事をしております。不具合がありましたらご容赦ください。」ですってさ。

廊下を走るスリッパか草履かの足音の正体は分からないままでした。座敷ワラシではなく、小さな子供たちがスリッパを履いて走り回っていたのかもしれません。いずれにしても妙な宿でした。

怪談というのは、ビクビクしている時の見間違いや思い込みから始まるもののようです。でも、その時の不気味な雰囲気や恐怖感は結構根深くて、トラウマというほどではありませんが、後引きます。

実は、このささやかな怪談を書いている時、日光でフランス人女性が行方不明になったというニュースが報じられました。私達の滞在とは重なっていないのですが、あの鬱蒼とした森や急流が日本好きの36歳の養護教諭を呑み込んだのではないかと思うと、怖くなってしまうのです。

その女性は、昨年7月28日に、ひとりでJR日光駅に降り立ち、ホテルに一泊した後、翌29日の午前中、軽装で出掛けたまま、戻って来ませんでした。スーツケースもパスポートも部屋に置かれていて、近くを散策するつもりだったようです。女性にはてんかんの持病があり、毎日の服薬が欠かせませんでした。私にも持病があり、注射や薬がないと生死に関わります。定期的に検査もしなくちゃなりませんから、外国でふらっと行方をくらますなんてありえません。栃木県警は、川やダムや森林の中まで警察犬やドローンを使って必死に捜索しました。女性の家族も来日して駅でビラを配ったり、安倍首相やマクロン大統領に直訴したのですが、それから5ヵ月余り経った今も、行方不明のままです。携帯電話のGPS機能はホテル周辺で途絶えているとのこと。昨夏の暑さは慣れた日本人にも耐えがたいものでした。疲れからてんかん発作が誘発されて川に転落し、折しも前日までの雨で増水した流れに揉まれてダムを通り抜け、海に出てしまったのではないかと推測されているとのこと。そうとでも考えなければ、まるで神隠しのような失踪です。早く見つかりますように。

(おわり)

 

隣のまちこちゃん

昭和23年(1948年)生まれの私は、今年、70歳を迎えました。この秋は、小学校と中学校の古希記念同窓会に続けて出席。

今までの同窓会では味わったことのない、素直な懐かしい気持ちになりました。

大方の同級生は現役を退いて、昔のようにせかせかと仕事や子供の受験の話などはしません。これから一旗揚げてやろうなどいう野心もなく、お互い身体の不具合を披露しつつ、枯れた心境で、純粋に子供時代を語り合うだけですから。

そんな同窓会で幼馴染のまちこちゃんと会って、久しぶりにゆっくり話をしました。まちこちゃんと私は、幼稚園から高校まで一緒でしたが、一番仲良くしていたのは小学校時代。福岡市早良区藤崎の教職員住宅でお隣に住んでいた頃です。

まちこちゃんのお父さんは経済学の、私の父は教育学の教師でした。まちこちゃんは、歳の離れた弟と両親との4人家族。わが家は、年の離れた2人の兄に末っ子の私と両親との5人家族でした。教職員住宅は2階建て。当時は珍しいメゾネットタイプで、トイレは水洗。コンクリートのベランダと小さな庭と各戸に物置小屋がついていました。

まちこちゃんはバイオリンを習っていて、私はピアノを習っていました。毎日、まじめに一生懸命練習をしていたまちこちゃんは、音大を卒業してバイオリニストになりました。気まぐれにしか練習しなかった私は、途中でピアノを弾くのを止めてしまいました。

同窓会で、初めてしみじみと来し方を語り合った私達は、それぞれの家に帰って写真やメールを交換しました。以下、まちこちゃん所有の、幼稚園の時のツーショット。右がまちこちゃんで左が私です。あどけないですね。メールもまちこちゃんの許可を得て、公開します。

まちこちゃんへ

 古希同窓会は、ほんとうに楽しかったですね。Iさんとも久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。

「隣りのまちこちゃん」は、私のエッセイにときどき登場する女の子です。

まちこちゃんは、私のように夏休みの宿題帳をなくしたり、ラジオ体操をさぼったりしない、きちんとしたまっとうな女の子です。

まちこちゃんが大事にしていたままごと用の小さな陶製ポットの注ぎ口を私が割ってしまったときも全然怒らない優しい子です。

まちこちゃんは、お風呂上りに金魚模様の浴衣をきて、おでこに「天花粉」をちょっとつけて、お母さんと弟と夏祭りに出かけていました。

「金魚模様のゆかた、いいな~」と羨ましかったものです。

うちの母は「芸術家」だったので、母の手製のベトナム風のワンピースを着せられ、

帽子(三角形の)をかぶせられて困惑していた私は、まちこちゃんの普通の浴衣に憧れていました。

 

 

のぶこちゃんへ

なんだか心がほっこりそして、じーんとするメールを頂きました。

そして思うこと・・となりの芝生はあおいのですね!

私は伸子ちゃんの家がうらやましくて・・おばちゃんはとても

お料理上手で・・確か私が病気で休んでいた時グラタンをいただいたのです。

グラタンなぞうちの母が作れるわけなく、とても美味しくておまけに周りに

マッシュポテトの絞りが飾りについていました。そのようなグラタンはその後

お目にかかったことはありません! そしてプリンも美味しかった!

伸子ちゃんは末っ子の女の子だったので厳しくされなかったと思います。

わたしは長女で最初の子・・いやがおうにも厳しくしつけられいつも良い子を求め

られました。末っ子はいいな~と今でも思います。

とは言え、そんなこともあったかしらん?(金魚の浴衣は記憶にないのですが

母の姉の家が呉服屋だったので、浴衣もあったのでしょう)

本当に懐かしい~!

母と違って私は娘を厳しく育てませんでした。父親はもっともっと(笑)

生意気に生きていますが、親としては行先を案じるばかりです。

しばらく私は故郷から背を向けておりましたが、これからは少し振り返ってみようと

思います。 またお目にかかれるのを楽しみに! お元気で!

まちこより

写真 同封いたします。

 

 

 

 

真夏の夜の怪談 (その2)

日光東照宮は、徳川家康を祀った神社です。1616年、元和2年。家康は数え年75で亡くなっています。胃がんだったと言われていますが、当時としてはとても長命ですよね。遺言に従い、遺体は隠居ずまいのあった駿河の久能山に埋葬され、葬儀は徳川家の菩提寺である江戸の増上寺で行われました。また、これも遺言通り、1周忌には久能山から日光東照宮に分霊されました。家康は、死後、自分が樹立した徳川幕府と配下に収めた諸国を、神となって守ってあげようと考えたのです。日光は江戸城の北方向です。方角的に日光は江戸城の鬼門でもあり、同時に不動の北極星への道でもあります。北極星を背負ったこの位置から、江戸城の守護神として永遠に力を振るい続けようと壮大な死後の計画を立てた徳川家康は、一体どんな人物だったのでしょう。

杉木立の間を、167段の石段を上り詰めた奥宮に、家康の墓所はありました。

極彩色で絢爛豪華な東照宮の陽明門界隈に比べると、奥宮は、金属でできた八角形の簡素な霊廟です。鶴と亀の置物が置かれているほかは、装飾らしいものもなく何とも地味な佇まい。でも、辺りには、山の荘厳な気配がただよっています。このお墓のデザインも家康が考案したものでしょうか。東照宮には、子孫の忖度も含めて、隅々まで支配者としてのこだわりが見て取れます。家康は、もしかして、自分の墓所に海外から外国人が押し寄せる現状も想定していたのではないかしらん、と思えるほど、見るものを飽きさせない意匠の凝らし方です。

そしてその夜、泊まったホテルの部屋に、なんと、その家康の「亡霊」が現れたのです。

掃除は行き届いているものの、古い仕様のホテルでした。フロントでは、カードキーではなく昔風のプラスチックの角棒型キーホルダーのついた鍵を渡されました。ドアを開けると、かなり広いツインルーム。窓は無く、壁の一部が四角く部屋側に張り出しており、そこに鍵のある小さな扉がついています。扉の取手は、押しても引いてもビクともしません。まるで裏にもう一部屋小部屋があるような、妙な作りなのです。壁には幅広の黒い板が貼られ、そこに大型の壁かけテレビが取りつけられていました。暑い中、家康の墓所 までの長い石段を登り下りしたので、脚が弱い連れ合いは疲れ果てたらしく、早々に寝てしまいました。

今夜は私も早仕舞い。そう思いながら入浴の準備をしていると、廊下をパタパタと走る音がします。部屋の前を何人かの人が慌ただしく行ったり来たりしている様子。スリッパか草履か、そんな感じの足音です。「なんだろう?」と、そっとドアスコープから覗いて見ましたが、人の姿はなく前の部屋のドアも閉まっています。あれ、変だなー、確かに今、足音がしていたのに・・と不思議に思いながらシャワーを浴びました。水道栓をひねる旧式のシャワーです。髪を洗っていると、突然、すぐ近くで「キャーッ!」という鋭い叫び声が聞こえます。慌てて水を止めてシャワーカーテンの隙間から覗いたのですが、浴室には誰もいません。隣の客室で何事かあったのかしら、あの足音と悲鳴は何だったのだろう。気味が悪くなった私は、大急ぎで髪を乾かしました。ドライヤーを使いながら、鏡に見知らぬ人の顔が映るのではないかとビクビクしています。私は臆病な方ではありません。縁起を担ぐこともなく、神仏に縋ることもなく、子供の頃から心霊現象なんてちゃんちゃらおかしい、と思ってきた合理的なタイプの人間です。その私が、なぜかその夜に限って物の怪に怯えてビクビクしているのです。もうとにかく、早く寝てしまおう、朝になったら気分も変わっているだろう。

眠っている連れ合いを起こさないようそっとベッドにもぐりこみ、入眠剤を半錠飲んで枕元のランプを消しました。眠りに落ちようとするとき、馬が何百頭も目の前を駆け抜けていくような光景を見ました。

誰かの声がします。「寝てる?」。連れ合いの声です。どうしたんだろう。この人も豪胆な人間です。これまで、寝ている私を夜中に起こすようなことはありませんでした。「さっきから、天井に明かりが走ったり消えたりしているんだけど」。寝ぼけまなこで天井の様子を見ていると、確かに部屋がボウッと明るくなり、しばらくすると暗くなります。寝たまま頭を巡らすと、私の枕元の電灯が勝手についたり消えたりしているのです。行燈みたいに。そして、暗くなると壁に人影が浮かび上がります。

うちわのようなものでパタパタと身体を扇ぎながら、どっしりと座っている人影。右の袖が揺れています、連れ合いが備え付けの浴衣を着ているのかな?うちわは、昨日、はとバスでもらったもの?連れ合いに訊ねます。「暑いの?」「どうして?」「だって、あなた、さっきからうちわで扇いでいるじゃない。ベッドに座ってさ」というと連れ合いは一瞬黙りこんで、それから言いました。「ずっと横になってるよ」。え~っ、だったら、あれは誰の影?あの戦国の武将みたいなシルエット。もう、ホント、関ケ原の徳川家康じゃないですか。天下分け目の軍配を振っています。半分、寝ぼけていた私はベッドに飛び起きました。枕元の時計を見ると午前2時。丑三つ時です。(つづく)