百道浜(ももちはま)は、サザエさん発案の地

福岡空港から姪浜まで東西に走る市営地下鉄空港線。西新駅で降り、フレッシュネスバーガーの角を右折すると、そこから海の方向へ延びる通りが通称「サザエさん通り」です。ここは、修猷館高校・西南学院大学・高校・中学と西新小学校が立ち並ぶ学園通りでもあります。サザエさん通りの突き当りは、地下鉄と並行に室見川まで走る「よかとピア通り」です。その向うは埋立地の百道浜地域。25年前に造成された埋立地は、著名建築家のデザインによる高層マンション群、福岡タワーや博物館、ヤフードームやテレビ局など立派な建物が威風堂々と立ち並び、緑の並木を海風が吹き渡る近代的な洒落た街。でもその昔は、「よかとピア通り」が白砂青松の海岸線だったのです。60年前の夏、団塊世代の子供たちがまるで銭湯のように押し合いへし合いして泳いでいたものです。

この海岸で長谷川町子さんが「サザエさん」の登場人物の名前を思いついたということで、「サザエさん通り」と名付けられました。百道浜っ子だった私たち、よかトピア通りの向うに見えるBONREPASのあたりで泳いでいたんです。

漫画「サザエさん」は、福岡の地方紙、夕刊フクニチの連載から始まりました。石碑に当時のことを描いたマンガの一コマが貼りつけてあります。町子さん一家は、この海沿いの家に暮らしていました。病み上がりの妹さんに付き添って海岸を散歩しながら、登場人物を海産物の名前にしようと思いついたのだそうです。でも、あの当時、百道浜ではサザエは採れませんでした。あさりやマテ貝は採れましたけど。カツオも博多湾では釣れません。でも、磯野波平・フネ夫妻、長女サザエ、お婿さんのフグ田マスオ、カツオにワカメ・・楽観的な日本の庶民の代表的一家として、町子さんの想像の中から生まれて、今も生き生きと、日本のどこかで暮らしているようですね。私の小学生の頃、後ろは刈り上げで前はおかっぱの「ワカメちゃんカット」が流行っていましたっけ。

西南学院大学に今年新しい立派な図書館が完成しました。その図書館の前に、サザエさんと作者長谷川町子さんのブロンズ像が建っているんですよ。サザエさんが町子さんに内緒話をしている様子が面白いですね。

サザエさん通りの入り口にある修猷館高校。秀才揃いの県立進学校ですが、校風は自由。ジイジ氏の母校と伺っていますので、写真を写してきました。古い建物は取り壊されて、すべて鉄筋の新校舎に様変わり。レンガ造りの古い校門は一部ひっそりと残っています。最近は修猷館高校も女子生徒が増えました。☆の校章がついたセーラー服はそのままですが、スカート丈を超ミニにしてメイクをし、イチゴシェイク片手に彼氏と歩いています。学園通りは、今風にお洒落な雰囲気になりました。

 

百道浜(ももちはま)は、サザエさん発案の地」への4件のフィードバック

  1. お久し振りです。 百道と言えば忘れられないことがいくつか有りますが、そのうちの一つ、今を去る何十年前でしょうか、昭和30年代の初め頃は西新に住んでいまして夏は百道浜でよく泳ぎました。夜ともなれば暗い海に仰向けになり、夜光虫の煌めくなかを星を眺めて我を忘れたものです。
    もうひとつは恥ずかしい話ですが、昼の海水泳の時潜ってはアサリを採って遊んでいた時に、たまたまその場所が市内の下水口の延長線上だったのでしょうか、両手に貝を掴んで上がってきて掌を開けて見ると、泥と思ったのは人糞でその中にアサリ!
    しばらくはうなされました。お粗末な一席失礼いたしました。

    • 今、子供たちの間で(もしかして大人の間でも?)、「うんこ漢字ドリル」が流行っています。ご存知ですか?すべての例題に、「うんこ」という言葉が入っているのです。『(よ)約していたうんこを取りに来ました』とか、『会社の(金こ)には社長のうんこが入っている』とか、シュールな漢字ドリル。小学校3年生の例題にこんなものがありました。『昔のうんこを回(そう)して一日が過ぎた』。これ、もしかして宮坂さんのことですかね?
      『うんこランドで楽しい(しおひがり)』。例題作者は波多江です。

  2. 早速の百道浜の最新情景のアップ大感謝!
    百道浜界隈がおしゃれに変化ている野にビックリ仰天です。
    *質問が一つ最後の行のカテゴリーに【ピオネ荘内談話室】とありますが、
     もし談話室の場所を教えていただければ訪問したいのですが。
    PS:確かに私は修猷館に1年いましたが、正確には高校卒業生が入学する予備校【修猷学館】で今はもうなくなってしまいました。 
    そういえば旧HPで学館の跡地が西南学院の高等部になったとお教えいだきましたよね。

    • ジイジさま
      修猷学館はその後、修猷館の同窓会館になり、しばらくして西南大の駐車場になったかと思うと、今年、カフェ付の立派な図書館が建ちました。
      ところで、「ピオネ荘内談話室」は、リアルな部屋ではありません。このブログのカテゴリ名です。西新・百道界隈で幼少期~青春時代を過ごした方たちのための思い出語りの部屋なのです。それぞれの記憶の中の「ピオネ荘」で、50年~60年前の自分や友達のことを語っていただく部屋なのです。

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