第7回 日本一短い自分史

おせいさんへの感謝状 (秀作入選)

 築60年のわが家には、大工仕事が好きな夫が物置を改造して作った書庫がある。6畳ほどの書庫には、研究者だった私達の専門書よりも小説や随筆、画集の方が多い。本棚の一角は可愛らしい装丁の田辺聖子さんの著書が占めている。20代初めに「感傷旅行」を読んで以来の、私はおせいさんの大ファンなのである。これまでの71年の人生で、どれほどその著書に助けられてきたことだろう。

 33歳で甲状腺がんと糖尿病を発症し、ウツウツと過ごしていた時、「貸しホーム屋」(『おせいさんの落語』)という短編に大笑いして気分が変わった。貸しホーム屋から「家族」を借りることになった独身男。瀟洒な家と美人妻・賢い子の富裕家庭セットよりも、庶民的な妻に「ねえ、あんた」と呼ばれる雑駁なアパート暮らしの方が好みだ。やがてその平穏さにも飽きて、男が選んだのは「生活苦コース」だった。12人家族で、赤ん坊、病妻と寝たきりの年寄りの世話に追われ寝る時間もない。極道の義弟は彫りもんちらつかせて金を無心する。泥沼の人生苦。だが、この苦しみの中のじっくりした味わいが堪えられない。そうか、わが「病苦コース」も案外滋味豊かなのかも・・と思い返した次第だ。53歳で甲状腺がんが再発した。その時にぴったりのアフォリズムは「人生は神サンから借りたもの」(『楽老抄~ゆめのしずく』)であった。人の命終に当たりやって来るのは、阿弥陀如来ではなく、ガラの悪い神サン。借金取りのごとく「オーラオーラ、貸したもん返やさんかい」とすごむ。死について品良く思いめぐらしていた私は、妙に納得したのだった。夫との関係が危機に陥ったことも何度かあるが「求婚旅行」の昭子と平三夫婦のように、その都度やり直せて今がある。 

 田辺聖子さんは、私の人生の分岐点で、ものの分かった関西の叔母さんのように、説教抜きで、その場その時にいちばん必要な言葉を贈ってくれた。心から感謝している。(了)

伊丹市立図書館の田辺聖子さんの著書コーナー
兵庫県伊丹市に住んでおられた聖子さんは、この図書館の名誉館長でいらしたとのこと。
昨年(2019年)、91歳で逝去されました。

本人のひとり言  子供の頃から、ものを書いたり読んだりするのが大好きだった私ですが、ここ数年、本も読まず、文章の書き方も忘れてしまったような、心許ない思いで過ごしていました。筋トレならぬ筆トレのつもりで始めたのが、エッセイや短編小説の小さな賞に応募することでした。昨年1月から今年の3月までに、4篇のエッセイと2篇の短編小説に応募しました。小説はあえなく落選。ですが、エッセイは2篇が入選しました。(あと2篇はまだ発表なし)。そのひとつが伊丹市立図書館主催の「日本一短い自分史」(800 字)です。お題が「田辺聖子さんと私」でしたから書きたいことは山ほどあるのですが、原稿用紙2枚以内という短かさに悩みました。こうして読み返してみると、最初の段落が良くない。大事な字数を不要な説明に使っています。もっと何度も推敲すればよかったと後悔しきり。 応募数274篇。最優秀作は1篇。秀作の3篇のうちに入れていただいたことは、ありがたく嬉しいです。

第7回 日本一短い自分史」への2件のフィードバック

  1.  「おせいさんへの感謝状」、”日本一短い自分史”HPからプリントアウトして拝読いたしました。 800字にまとめること本当にむつかしいですね。
     私にとって”おせいさん”は「カモカのおっちゃんとの笑いと涙の日々」を綴った某週刊誌の連載が大好きでした。 自粛々で殺気立ってきた今日この頃、おせいさんとカモカのおっちゃん夫婦の”笑うのが一番”の人生少しでも見習えたらと思います。
    PS:「貸ホーム屋」AMAZONさんに注文しよっと!

    • ジイジさま
      首都圏はえらいことになっていますが、
      こんな時こそ、落ち着いて行動しなくてはなりませんね。
      田辺聖子さんが関西弁でロマンチックな恋愛小説を書いておられるので
      私も博多弁の恋愛小説を書こうとしたことがあるのですが
      上手くいきませんでした。「すいとーと」では本気感が出ませんものね。
      「貸ホーム屋」は面白いのですが、これが収録されている「おせいさんの落語」。
      他の短編はあまり良くないので、購入されるのはお勧めしません。
      コロナ騒ぎが収まって、図書館でどうぞ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です