新春の講演会ご案内 森田療法のこと  

新年を迎えました。本年も「波多江伸子の部屋!」。どうぞ御贔屓によろしゅうお願い申し上げます。

さて、今年、私は70歳。古希になりますとですよ。自分では十分に年を取ったと思うのですが、高齢社会の日本では、70歳なんて、まだまだ高齢者の末席です。人生50年の時代は長老だったのでしょうけど。これまで、まともに勤めたわけではないので定年もなし、その代り厚生年金もなし。通院以外の贅沢はしませんが、その医療費がバカにならない。月に4万円もかかるのです。死ぬまで治療が必要な慢性疾患なので、今年も医療費を稼ぐために、細々とパート教師の仕事を続けます。

ここ10年位は、仕事よりボランティア活動の方が圧倒的に多く、特に、がん患者団体の活動は、それなりに成果を上げたとは思っています。しかし、代表の私もメンバーも、自分の家庭や健康はうっちゃって、患者サロンやピアサポートやがん啓発活動に駆けずり回ってきました。活動助成金は申請すると毎年いただけるのですが、私たちボランティアの交通費や事務局運営費は全部自腹を切ってやってきました。あ~、専従の事務局スタッフがほしい、その人に支払う給料がほしい。使途制約のない寄付金がほしいと、最近思います。お金がほしいと。でもその反面、病人と高齢者の集まりであるがん患者団体「がん・バッテン・元気隊」に、これ以上の活動は無理だと思うので、多額の寄付や支援金をいただくと負担になるかも・・なんて考え、何だか腰の引けた「ご寄付のお願い」になってしまうのですよね。

さて、昨夏から始めたもうひとつのボランティアは、NPO法人日本医学ジャーナリスト協会西日本支部の活動です。こちらは、九州山口の医学・保健・福祉に関する情報を発信する人たちの勉強や交流の場です。現職や元職の新聞記者やTV局の記者。フリーランスのライター、医師・保健師などが会員です。私は・・う~ん、どんな立場なのかな~。患者で医療問題のノンフィクションライター、と言ったところでしょうか。西日本支部では毎月、話題の医療者・研究者を講師に招いての講演会を開催しています。1月の講師は、九州大学教授で、精神科医・臨床心理士の黒木俊秀さん。100年前に日本で生まれた独創的な精神療法「森田療法」の現代的な応用の話です。案内状は以下に添付しています。参加ご希望の方は、私宛にお申し込みください。関心がありそうなお知り合いを誘っていただければ助かります。

日本医学ジャーナリスト協会西日本支部新年例会

 

築地・国立がんセンターでお寿司を食べる 

前回、睡眠薬をべルソムラに変更したら、夜中に金縛りが出現し、あえなく1回で中止した話を書きました。すると、知人から手紙が・・。「私もべルソムラでひどい悪夢にうなされ、すぐに挫折しました。『そうだ、そうだ』と言いたくて」手紙を書いたのだそうです。私同様、彼女もまたレンドルミンに戻り、「眠れずに翌朝血圧が上がるよりはいいかと、ためらわずに飲んでぐっすり眠っています」とのこと。以前住んでいたマンションの、仲良しのご近所さん。きれいな筆跡の手紙。懐かしかったです。ありがとう。私も、最近、努めて手紙を書くようにしています。忘れていた字も思いだすし。

さて、久しぶりに仕事で東京へ行きました。国立がん研究センターの19階のレストランで、ランチに海鮮ちらしを食べました。ハーフサイズです。眼下には築地市場が。だからでしょうね。ここのお寿司はすし職人が作ったような感じなのです。10数年前、5年生存率50%の悪性度の高い胃がん、と言われたばかりの友人と、まるで最後の晩餐のような気分で、このお寿司を食べた記憶が蘇ります。胃を全摘したけれど、友人は今も元気に暮らしています。!(^^)! この度、テーブルの前にいる人も、同じ頃、同じように悪性度の高い胃がんと言われた別の友人。胃が無くても、ゆっくり食べれば、無事お腹に納まるもののようです。身体の一部を失うと、近くの器官が代償的に働いてくれます。身体はなんて健気で頼りになるのでしょうか。

睡眠薬べルソムラで、金縛り状態に

久しくブログを休んでいたので、文芸部の後輩、香川うどんが心配してメールを寄越しました。卒業して47年経ちますが、いつまでも優しい後輩です。大学は学祭が終わって祭りの後。準備に忙しかった学生たちが教室に戻ってきて、前回のタナトロジー(死生学)は230名を超える受講生で教室がいっぱいでした。

さて、わたくし。長年、睡眠薬を飲んでいます。もう10年以上になりますかね~。ベンゾジアゼピン系のレンドルミン(商品名)という薬です。デパスとかマイスリーもこの種の薬。よく効きます。パソコンの強制終了みたいに突然眠ってしまいますが、作用時間は比較的短く、夢を見ることもなく、寝ざめはすっきりして私には良く合っています。夜中の2時3時に就寝する私にとって、確実な睡眠を約束してくれる睡眠薬は必需品でした。ただ、この薬には、依存性や耐性があると言われており(当初は、副作用がないという触れ込みで発売されたのに)、主治医から新しい薬への変更を勧められました。その名もべルソムラ「美しい眠り」。2014年から発売されている、オレキシン受容体拮抗薬と呼ばれる睡眠薬です。耐性ができない、自然な眠り、リバウンドしない、と良いことずくめのように言われますが、ほんとかいな?レンドルミンみたいに、後になって、あの薬は実は問題があったということになるのかもしれません。

睡眠には「レム睡眠(REM)」と「ノンレム睡眠(non-REM)」の2種類があり、睡眠中はこの2種類の睡眠が交互に繰り返されます。レム睡眠はいわば、脳が起きていて、身体が眠っている状態。ノンレム睡眠は脳は眠っていて、身体が起きている状態です。睡眠中、脳と身体が交互に休むわけです。で、夢をみるのは脳が起きているレム睡眠中。私が飲んでいるレンドルミンはレム睡眠を抑えるので夢を見ません。

新しい睡眠薬べルソムラはオレキシン受容体拮抗薬、つまりオレキシンのはたらきをブロックし、自然にまぶたが重くなって眠くなる作用を持っています。で、夢を見ます。

初めてべルソムラを飲んだ夜、恐ろしいことが起こりました。寝付いたかどうかという状態のとき、突然、寝室の窓が明るくなり、光が差し込んで窓枠がガタガタと揺れ始めました。地震?火事?と跳ね起きようとしたのですが、どうしたわけか身体が動かないのです。意識ではもがいているのですが、身体はマネキン人形みたいに、ただゴロンと布団に転がっているだけ。そのうちに、誰かが寝室のドアをどんどん叩き始め、恐怖でもうパニック状態です。目を開けると天井には両手をかざした魔物のような黒いシルエットが、光の中をグルグルと回っています。とにかく部屋中が騒々しく、ドンドン・バタバタ・ガラガラと工事現場のような状態。家族を呼ぼうとするのですが声が出ません。どのくらい経ったのか、渾身の力を込めて両手両脚を踏ん張るとすっと起き上がれました。ハァハァと肩で息をしながら辺りを見回すのですが、寝た時の暗い静かな部屋に戻っていました。私は金縛り状態になっていたのです。べルソムラのせいだと思い当たりました。明け方の4時。その晩は眠るのが怖くて、夜が明けるまで起きていて、薬の効果が無くなった頃、やっともう一度眠った次第です。

精神科や睡眠障害の専門医にその話をすると、「ほう、出ましたか!」と、とても興味深そうな目になります。べルソムラはその作用機序から、頻繁に悪夢や金縛り状態が生じるのではないかと懸念されていましたが、その後、ほとんどそんな報告はなく、何となく良い睡眠薬として使用されているのだそうです。

私の連れ合いも、べルソムラを処方されて試しましたが、夜中から朝目が覚めるまで、 何とも言えない頭痛に悩まされたと言っていました。少なくともここにふたり、べルソムラの副作用が顕著に出た患者がおります。製薬会社さん、調査をお願いします。で、わたくし。眠剤を少しずつ減量し、最終的には使わずに眠る練習をしています。

 

 

柳井の金魚ちょうちん

毎年7月になると、「柳井の金魚ちょうちん」を棚の奥から取り出して玄関に飾ります。私のささやかな夏の楽しみ。網戸から入るそよ風に、金魚の親子がゆらゆらと揺れています。天井に吊るした青いガラスのランプシェードがまるで金魚鉢のように見えるでしょう?10年以上前に、山口県在住の知人から頂いた県の特産品ですが、箱を開けた瞬間に一目惚れ。早く飾ってみたいとワクワクしました。色といい、形といい、なんと可愛らしくて生き生きとした造形でしょうか。曲げた竹ひごに紅白に染め分けた和紙を張って、お目々は墨で黒々とパッチリと描かれています。

柳井は山口県の広島寄りに位置する港町です。先日、柳井港からフェリーで愛媛に渡る旅行をしたことはここで書きましたよね。フェリーの客室の天井に古ぼけたちょうちんがたくさん下がっていました。「そうだ。親しい人へのお土産に買って帰ろう」と、帰りに柳井市内の郷土民芸品店を探したのですが、もう日も暮れる頃なので産物店は締まっています。市内のどこにも下がっていにないのです。柳井市商工会議所に電話をして、まだ空いているお店を教えてもらい、やっとのことで棚の上に一個だけ残っていたちょうちんを売ってもらいました。金魚ちょうちんは廃れたのかな~と心配していたのですが、どこかに山ほど隠し持っていたのですね。

お盆が近づく頃、柳井市では金魚ちょうちんまつりが盛大に開かれます。浴衣を着た子供たちが、これでもかというくらいの金魚ちょうちんの下で可愛く踊っているニュースをTVでやっていました。私たちが行った5月ごろは、祭りのためにちょうちんを販売していけないというお触れが出ていたのかもしれません。

百道浜(ももちはま)は、サザエさん発案の地

福岡空港から姪浜まで東西に走る市営地下鉄空港線。西新駅で降り、フレッシュネスバーガーの角を右折すると、そこから海の方向へ延びる通りが通称「サザエさん通り」です。ここは、修猷館高校・西南学院大学・高校・中学と西新小学校が立ち並ぶ学園通りでもあります。サザエさん通りの突き当りは、地下鉄と並行に室見川まで走る「よかとピア通り」です。その向うは埋立地の百道浜地域。25年前に造成された埋立地は、著名建築家のデザインによる高層マンション群、福岡タワーや博物館、ヤフードームやテレビ局など立派な建物が威風堂々と立ち並び、緑の並木を海風が吹き渡る近代的な洒落た街。でもその昔は、「よかとピア通り」が白砂青松の海岸線だったのです。60年前の夏、団塊世代の子供たちがまるで銭湯のように押し合いへし合いして泳いでいたものです。

この海岸で長谷川町子さんが「サザエさん」の登場人物の名前を思いついたということで、「サザエさん通り」と名付けられました。百道浜っ子だった私たち、よかトピア通りの向うに見えるBONREPASのあたりで泳いでいたんです。

漫画「サザエさん」は、福岡の地方紙、夕刊フクニチの連載から始まりました。石碑に当時のことを描いたマンガの一コマが貼りつけてあります。町子さん一家は、この海沿いの家に暮らしていました。病み上がりの妹さんに付き添って海岸を散歩しながら、登場人物を海産物の名前にしようと思いついたのだそうです。でも、あの当時、百道浜ではサザエは採れませんでした。あさりやマテ貝は採れましたけど。カツオも博多湾では釣れません。でも、磯野波平・フネ夫妻、長女サザエ、お婿さんのフグ田マスオ、カツオにワカメ・・楽観的な日本の庶民の代表的一家として、町子さんの想像の中から生まれて、今も生き生きと、日本のどこかで暮らしているようですね。私の小学生の頃、後ろは刈り上げで前はおかっぱの「ワカメちゃんカット」が流行っていましたっけ。

西南学院大学に今年新しい立派な図書館が完成しました。その図書館の前に、サザエさんと作者長谷川町子さんのブロンズ像が建っているんですよ。サザエさんが町子さんに内緒話をしている様子が面白いですね。

サザエさん通りの入り口にある修猷館高校。秀才揃いの県立進学校ですが、校風は自由。ジイジ氏の母校と伺っていますので、写真を写してきました。古い建物は取り壊されて、すべて鉄筋の新校舎に様変わり。レンガ造りの古い校門は一部ひっそりと残っています。最近は修猷館高校も女子生徒が増えました。☆の校章がついたセーラー服はそのままですが、スカート丈を超ミニにしてメイクをし、イチゴシェイク片手に彼氏と歩いています。学園通りは、今風にお洒落な雰囲気になりました。

 

『がっかり』しない観光名所。札幌の時計台

ここ数か月、持病の糖尿病が良くありません。それでも猛暑酷暑の7月下旬、北海道まで観光旅行に出かけました。この体調不良の中、ヘロヘロしながら観光旅行?と自分でも思ったのですが、まあ、ずっと前から予定していましたからね。行くしかなかったのですよ。北海道、初めてですし。

福岡空港から新千歳空港まで2時間半。新千歳空港からJRで札幌駅まで20分。駅で昼食をすませ、北大のそばの静かなホテルの部屋に納まったのは、家を出てから6時間後。割に早く着くもんですね。九州から北海道まで。気温は18度、札幌市街の碁盤状の道路には涼しい風が吹き抜けているのですが、エネルギッシュな中国人観光客が溢れていて熱気むんむんです。聴こえる会話の8割は中国語。ばっちりバレリーナ風ポーズを決めての記念撮影に驚いて見とれる私。

ホテルの洗面台で顔を洗おうとしたら、水が冷たくて良い気持です。駅の中のカフェで食べたソフトクリームの何と言うおいしさ!新鮮な生クリームのコクと滑らかさがたまりません。インスリン注射を追加打ちしてでも食べたい、禁断のおいしさです。3日の滞在で4個食べました。あ~、北海道のソフトクリームの罪深き美味の虜に。ブルーベリーに似た「ハスカップ」のジャムを載せるとまた違った可愛らしい味わいになります。

下の写真は、「日本三大がっかり名所」のひとつと言われる札幌の時計台ですが、「あら、素敵!どこが、がっかり?」というのが私の感想。明治の洋館風な建物が大好きですし、都会のビル群の中に、夏木立に囲まれた白いペンキ塗りの建物が爽やかです。この建物は、札幌農学校の演舞場だったとか。

旧北海道庁舎。赤レンガの美しい建物と庭。周りは観光客でいっぱいなのですが、たまたま誰もいない空白の瞬間があり、絵葉書みたいに静かな写真が撮れました。館内に入り、ガイドボランティアさんから、ゆっくり北海道の歴史を解説してもらいました。クラーク博士が、弟子たちと別れる場面を描いた油彩の絵の前で初めて知った事実。それは、クラーク博士が9か月しか札幌農学校にいなかったことです。でも、「青年よ、大志を抱け」という言葉は、日本では永遠に残りそう。

小樽の運河は、私的には「がっかり度」最高でしたね~。この日は、急に気温が上昇して32度。北国とは思えない、じりじりとした暑さ。途絶えることなく押し寄せ、観光スポットの前で写真を撮り合う観光客の波、波。客引き。暑さと人混みと、典型的な観光地特有の雰囲気に当たってしまい、早々に札幌に戻りました。

 

 

四国のお土産 草の葉で作ったバッタ

四国旅行から持ち帰ったお土産。草で作ったバッタです。トノサマバッタかイナゴのような堂々とした姿で、実にリアル。今にも跳びはねそうではありませんか。伝統的な草遊びが残っている大洲(おおず)の町の、無人のお店で見つけました。市内を流れる肱川はゆったりとして清々しい景色です。

 

      

瀬戸の渦潮

山口県の柳井港から、フェリーに乗って四国へ渡りました。愛媛県松山市の三津浜港まで2時間半の航行です。瀬戸内海は穏やかで海面は湖のように滑らかです。連れ合いの運転で松山市を中心に、近郊の古い町~内子や大洲を巡る2泊3日の旅。私は、香川県の高松市や徳島県を訪れたことはありますが、愛媛県は初めてです。船のデッキからは大小さまざまな島が見えます。可愛らしく胸ときめく景色です。

その静かな海面のとろどころに潮が渦巻いている部分があり、「これが渦潮というものか~」と感動して見入ってしまいました。私の旧姓は「村上」と言います。父方の祖父は因島の出身で、村上水軍の血脈が入っていると聞いたことがあります。瀬戸内の景色に心躍るのは、ご先祖さまから受け継いだDNAのせいかも。

松山市も、近郊の内子や大洲という江戸時代から続く古い町並みも、そこに住む人たちも、旅人に優しく親切です。大洲の町で道を尋ねると、土地の方が「散歩のついでですから」と、プロの観光ガイド以上の詳しさで、あちこちを案内してくださいました。古くからお遍路さんをもてなしてきたお国柄だからかもしれません。

 

 

 

 

 

 

モノ捨てる愉しみ

皆さま、いかがお過ごしですか?福岡はこのところ晴天続きです。新緑と明るい陽射しに誘われて、この連休、珍しく洗濯や片づけものに精を出しています。昨日は、自分の部屋の古い書類や雑誌、古着、押し入れの中の黄ばんだ布団カバーなど、リサイクルにも出せないような品々を、福岡市の一番大きな45ℓの袋に詰め込んで、ゴミ出し日に家の前に7個、ずらりと並べました。この爽快感はモノ捨てる愉しみです。

溜まりに溜まったものを捨てるときは、深く考えず、右から左にゴミ袋に入れるのがコツ、なんて言われますが、古いアルバムやノートなどは、やはり中身をしっかりチェックしなければ捨てられません。

本だなの下から「おかしなエピソード」というタイトルの古いノートが出てきました。30年以上も前の、ちょっとした笑える話を収録したノートです。当時、主婦業の傍ら、週に一度、或る大学で哲学の非常勤講師をしていたのですが、そこの学生の爆笑レポート。あまりにでき過ぎているので、本当に学生が書いたものなのか、もしかして私の創作なのか分かりませんけど。

『哲学の時間に、波多江伸子先生から<悔いのない人生を生きるとは?>という課題が出されました。家で夕食を済ませた後、テレビの漫才を見ながら笑っている父に訊ねました。「悔いのない人生って何だろうか?」父は驚いて、「は?何てや」と振り向きます。「良く生きるって何だろう」とボク。「どうしたお前。何か心配ごとでもあるとか?」と父。「オヤジ、死についてどう思う?」とさらに問いかけると、父は急に立ち上がり、「おーい、かあちゃーん。こいつ、ちょっと具合が悪いとやなかね。どうもおかしか」とオフクロを呼びに行きました。オフクロはエプロンで手を拭きながら台所から走って来て、「どげんしたとね?」と、ボクの額に冷たい手で触ります。「母ちゃんは、いつ死んでも悔いのない人生を送っとる?」と訊くと、「小遣いは十分やっとるし、弁当のおかずもちゃんとしたものを入れとるとに、おかしかね。どうしたんやろ」とオヤジと顔を見合わせ、ふたりして「ほんなこつ、おかしか・・」と心配していました。先生、こんなレポートですみません。ボクおよびボクの家族は、哲学的課題には向いていないようです』

こちらは、<モノ捨てる愉しみ>というよりも、捨てようとして片づけていると、思いがけず面白いものを発見する愉しみでしょうかね。

なまけるな イロハニホヘト  散桜 

江戸後期の俳人、小林一茶の句です。

毎日のように散歩するいつもの公園の桜の枝に、数日前、ちらほらと白い花びらがついていました。連れ合いの調子が良くなくて、数日散歩を休み、今日、買い物のついでにひとりで公園まで足を延ばしたら、あれま、7分咲きになっています。桜の季節は夢まぼろしのように過ぎていきます。人生もうかうかとしていると、あっという間に盛りは過ぎ、一夜の雨風で散り果てます。若者よ、なまけるな。イロハニホヘト散桜ですぞ。少年老い易く、学成り難し・・なんて言うと、学生は「ハ?」と顔を見合わせることでしょう。さて、来週から新学期が始まります。我ながら、50歳も年の離れた学生をよく教えているものだと思います。

一茶の句は、言葉遊びに紛れて人生の無常を感じさせる、面白哀しい俳句ですね。この人には、右翼の街宣車のような句もあるのです。「桜さく 大日本ぞ 大日本」。松岡正剛さんの<千夜千冊>というブログで教わりました。