西日本新聞創刊140周年

西日本新聞が創刊されて、今年で140年になるそうです。ずっと「にしにほん新聞」だと思っていましたが、正しくは「にしにっぽん新聞」。そうですよね、私らの国も、「にほん」ではなく「にっぽん」と発音しますからね。西日本新聞の最初の報道は、「西南戦争」の戦況を伝えるものだったとか。長く医療面でコラムを書かせていただいているからでしょうか、記念祝賀パーティにお招きをいただきました。参加者800名、大規模なパーティでした。福岡出身のノーベル賞受賞者、大隅良典東工大名誉教授の新聞社社長によるインタビュー映像、姜尚中氏のビデオメッセージなど、斜陽と言われる厳しい新聞業界へのエールが興味深かったです。びっくりしたのは、80年来の新聞読者という94歳の大分県日田市の商工会の方の挨拶。自在なお話ぶりを伺う限り70歳にしか思えません。スクリーンに映るお顔もつやつや生き生き。最近は、若いイケメンには全く関心がなく、元気はつらつと年を重ねている男性に関心があります。どうしたら94歳まで、こうしていられるのかしらと、根掘り葉掘り取材したい気持ちになるのです。

ソフトバンクの王さんによる乾杯の音頭の後、料理が振る舞われたのですが、来場の方はほとんど福岡を中心に九州の経済界の男性ばかりです。ちらほらと写真でしか見たことのない文化人やスポーツ関係者も混じり、私は知り合いもない会場で、壁際に並ぶ九州のおいしいものを探して、広い会場をお皿を持って歩きまわりました。佐賀牛のローストビーフ、中華の名店のあんかけそば、すごくおいしいコンソメスープ。高価なすし店の握りずし。浅ましく口も利かずに食べていましたから、きっと血糖値がはね上がったことでしょう。会社のえらいさんや議員さんたちは名刺交換に忙しく、長老の方々は料理の前に素早く並ぶこともなく、静かに椅子に座って新聞社の若い人が料理を運ぶのを待っておられます。私は、おなかがいっぱいになると、創刊記念特別紙に読みふけりました。小倉時代の森鴎外の寄稿文など、面白い記事がありました。がん患者の話を聴くボランティア活動か、台所で夕飯の支度をしているか、教室で学生相手にしゃべっているだけの毎日なので、ときにはこんなパーティに紛れ込むのも楽しいです。ご招待いただければ、ですが。

 

 

西日本新聞創刊140周年」への4件のフィードバック

  1. 話はとびますが【受験生と民宿】で思い出したことがあります、当時の住宅事情もありますが何度も受験生を狭い家に(無料で)引き受けていました。 すごいのは受験生全員がその試験に合格したのです。
    昭和23年GH氏→国家公務員試験→合格建設省勤務
    昭和41年TMさん、SHさん→それぞれQ大の医、理学部に合格
    昭和46年AS君→福岡の放送局R社に合格
    両親が家を建てたのは昭和50年代になってから、昭和23年はお寺の一間に間借りの状態、それ以降も会社の社宅住まいでしたが、母の手作りの食事と弁当、受験生との適度な距離感を保ったことが彼らの合格につながったのでしょうか…。
    いまは、地方からの受験生はHOTELに泊まることが当たり前になっていますが、ある意味両親は現在にはない『快適な受験環境』を提供していたのかなって思います。
    因みに、私自身も父母の家から向かった受験は桜満開でしたが、自宅以外から受けた試験は5分咲でした。
    因みに、インフルエンザ、次女とと孫は罹患しましたが、私たち夫婦はマスクと予防接種のおかげか今のところ元気です。

    • ジイジさんのご両親は、知り合いに頼まれて受験生たちを預かっていらしたのでしょうね。きっと、受験生の親御さんや会社関係の知り合いから「ここなら、息子を預けても大丈夫」と思われるようなお宅だったのでしょう。お母さんの手料理はさぞ心がこもっておいしかったことでしょう。昔はコンビニも学食もなく、受験にも弁当持参は当たり前の時代でしたものね。

      そういえば、私の子供時代、昭和30年くらいですが、
      わが家に親戚の子供が下宿して学校に通っていました。
      また、父の恩師というおじいさんが、なぜかうちで寝込んでいて
      母が毎日看病していました。
      どうも、教え子の父を訪ねてわが家に宿泊している途中
      具合が悪くなり、そのまま寝つかれたようです。
      今なら、すぐ入院だと思うのですが、病院がなかったのか
      母が、父の恩師なので手厚くおもてなしをしていたのか・・
      昔はよく家にお客さんがみえて、サザエさんの家の台所のように
      女たちは台所でてんやわんや。
      いまどきは、外食が充実しているので外で接待しますよね。

  2. 西日本新聞の報道が「西南戦争」の戦況の報道が始まりとは驚きです。
    九州を舞台の大戦争だから関東では想像もつかないほど大きな関心を持って報道されたことでしょう。一説では西郷軍の士族一人に官軍が6~7人で戦っていたそうです。それほど武士というものは農民から見たらオッカネェ存在だったんでしょうね。だけど官軍のほうも元武士がたくさんいたわけだから「群盲像を撫ず」の諺のようにいろいろな場面があったことでしょう。

    66歳にして初めてインフルエンザにかかりました。風邪もあまりひかないので予防接種を受けず甘く見ていました。39度を越える高熱でヒドイ目にあいました。
    波多江さまもお気をつけてお過ごしください。

    • 関東で、インフルエンザが猛威を奮っているそうですね。
      北北西の風さまも感染されたのですか。
      高熱が治まった後も、なかなかすっきりしない、
      2週間もぐずぐずしていると、
      罹った方は皆さんおっしゃっています。
      どうぞお大事に!

      それにしても、毎年、入学試験の時期に
      インフルエンザが流行します。
      入試の時期をずらせばいいのにと思うのですが、
      文科省はどうして変えないのでしょうね。
      今年の九州大学の入学試験は
      同時期に市内で2つの大きなライブが開催されるので
      宿が全部予約でいっぱい。
      受験生の泊まる宿がないと
      福岡では問題になっています。
      受験生の民泊を公募するなら、
      うちに泊めてあげたいくらいです。

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